山崎修平詩集『ロックンロールは死んだらしいよ』の感想

 詩集の感想を書くのはたぶん初めてで、ちゃんと書けるのだろうか。とにかく書きます。

自分では詩を書くくせにひとの詩を読むのがなんか苦手で、それは純粋に楽しんで読む、ってことができないからだと思う。読んでいると「わたしはこうは書かないな」とか「この部分はださいな」とか思ってしまう。しかしもう死んでいる人のはそういうことをあんまり思わない。詩の勉強、しなきゃなぁと思って書店の詩歌コーナーには行くけど何冊か手に取って、ひらいてぱらぱら見て、ああ、と思って棚に戻す、を繰り返している。

 だからこの本もしばらく読むのがおっくうで、積ん読の山の上に(表紙の人に見つめられるのがこわいので、裏返しにして)積んでいた。そうしていたら年が明けて、掃除していた時に(年末は時間がなくて年明けに掃除していた)積んでいる本を眺めていたら、あ、なんか読もうかな、という気になって読み始めました。

 装丁が、良いなぁと思う。手ざわり。でもこの表紙のひと、やっぱりちょっとこわくないですか。見ていると胸がざわざわする。字の色は黒じゃなくて、万年筆のインクっぽい紺色、眼にやさしい。(たぶん)

 人びとがいる風景を、細かく細かく切り取っていこうとする言葉たちだなと思った。連なってゆく単語によってイメージが豊かに立ちあがる。うれしいとか哀しいとか死にたいとか生きたいとか言わずに(これはとても大事なことのように思う)ひたすらにまなざすひとがいる。そしてそのまなざしに風景を包む穏やかさみたいなものがあって、わたしは読みながら、このひとはみんなのことが好きで、大事に大事に言葉にして残しているのかなぁと、思った。

ぜんぶの詩に食べ物(または飲み物)が出てくるのも特徴的だ。都市でおしゃれな顔して(?)生きているひともみんなお腹がすく、やっぱりただの生き物なんだった。「カボチャのパイ」(「音楽」)が良いですよね。これは「かぼちゃのパイ」でも「南瓜のパイ」でもなく「カボチャのパイ」だという気がする。

印象に残っている二行があって、

十代はね、溶けて。

二十代はね、流れ出すのよ。

(「美しい日々」)

というところ。こういう言葉は十代と二十代を過ぎてからでないと書けないんじゃないかと思う。たとえ言葉として書くことはできてもきっとぐらぐらしたままだ。本当は、年齢なんて知らないしぶっ飛ばしたい概念だと思うのだけど、まだ二十代の途中のわたしは、この詩みたいに言われたら「そ、そうなのか」としか言えない。

時が経てば書ける言葉は増えるのだろう。だけど、書けなくなっていく言葉もきっとある。わたしはわたしの立ち位置から、今の言葉を吐くしかない。

 はじめに書いたみたいに最初はすごく構えて読んでいたけど、読むほどに心をほぐされていってしまった感があります。読んでいてふつうに楽しかった。ちょっとくやしい。これからはもっとちゃんと、生きている人の詩集に手をのばしていこうと思いました。山崎さん、ありがとうございました。

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