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kono星noHIKARI 第10話


KPns Ⅰ    2000.01.16


 人が、やっとひとり通れるほどの轍になってしまった雪道を、女がよろけながら進んで行く。突然やってくる吹雪に思わず立ち止まってしまいそうになる。

 小さな商店でこの道だと聞いたのに目の前は白と黒の世界。永遠に着かないのではないかという恐怖が、暗闇から追いかけてくる。捕らえられないように、ひたすらに前だけを向き進む。目を凝らした先に、やっとうっすらと看板を照らす青白い明かりを見つけた。走り出そうとしても積雪のせいで思う様に足が前に出ない。
 何度もつまずき、転び、もがきながら、やっと辿り着く。

——どうか、居ますように!

 ドアノブに手をかけようとしたがかじかんで上手くつかめず、空振りして肩から雪面に転んだ。突っ伏したままドアをノックした。力が入らない。それでも懸命に腕を振り上げノックした。

 男は微かな物音に気付いて、受付カウンター横のガラス戸を開け、待合室を通り、小さな玄関へ向かった。そしてもう一度、風の音ではないかと耳をそばだてた。

 ドン・・トン・ドン・・ドアを確かに誰かが叩いている。慌ててサンダルを引っ掛けドアを開ける。吹雪が入り込み思わず顔を背ける。ドアはうずくまっている人物に当たり半分しか開かない。

男「どうされましたっ?具合が悪いのですか」

 小さい隙間から彼女を引っ張りあげて玄関へ入れドアを閉めた。薄いトレンチコートは既に用をなさず、乾燥している部分が見当たらない。靴は脱げてしまっている。髪の毛も濡れて肌に張り付いている。必死に歩いてきたのであろう濡れた髪の間から見える鼻先と頬が上気して赤みを帯びている。

 彼女が顔に張り付いた髪の毛を凍えた指でゆっくりと払い、男に真っ直ぐな視線を向けた。

「!」
 思いがけない顔が現れ、男は息を飲んだ。

女「あぁ、よかったせん...先せ...やっぱり。生きて......私を...覚えて、ますか」
 女の頬の筋肉は寒さで動かず、声も小さく震えた。

 忘れるはずはない。何度、夢の中に泣き崩れる彼女の姿が出てきただろうか。

男「晴海はるみさん。だね」

晴美「覚えていて......ありがとうご...ざいます。あぁ。やっと、会えた......波多野先生に」

男「よく、ここまで来たね。今はね相馬そうまと名乗っているんだ。──あの、君のご主人には、本当に」

晴美「いえ、もう、その事はいいん...です」

相馬「その事って。その事で来られたのではないのですか?」

晴美「私の中...で、夫は、夫のことは......納得できて...います。先生のお立場も、あった事だと。...会話も出来て。長く生きられる、かもしれない......短い、間でも、夫に夢を......あげることが、できました。感謝...しています」

相馬「いや、感謝なんて言わないでください。私はご主人の治療半ばで、子供さんに会わせることもせず、君たちの前から消えたんだ」

晴美「冷静に、考えれば......先生の治療、地球上では...有り得ないです。多分、私如き一般人が、頼み込んでも......先生の治療は......受けられないはずだった」

相馬「そんな、そんなことは無い。私がもっと周りに対して慎重にしていれば良かったのだ。あなたの家族を不幸に突き落としてしまった。ごめんなさい。謝りたかった」

晴美「先生は、先生が、とてもお優しい方であると......知っています」

相馬「違う。そんなんじゃない。晴海さん」

晴美「先生は今も、主人の事を、後悔して......いるんですよね?お願いです。先生。相馬先生。私、先生の、その優しさを、利用します。すみません。先生、娘が、主人と同じ病気で...先生しか頼れないから......もし、後悔して下さって...いるんだったら。娘を、少しでも長く......」

 後は声にならなかった。膝から床に崩れ落ちる。髪の毛から落ちる水滴よりも大きな涙の粒がこぼれた。

 相馬は寒さでガタガタと震え始めた晴海を抱きかかえ、診察室まで運び診察台のベットに腰掛けさせた。
 ──何か微かな情報を得て、相馬がこの土地に居ると分かって直ぐに、取るものも取りあえずやってきたのだろう。

 脱げた靴もそのままに積もる雪の中をひたすら歩いて。破れたストッキングから覗く足からは血が滲んでいた。
 ストーブのヤカンがシュンシュンと蒸気をあげている。

相馬「お嬢さん、今は?」

晴美「入院しています...今すぐにという状態では...無いですが、日々出来ないことが......増えていって......」

相馬「そうですか。お話を聞く前に、少し待っていてください」

 相馬は洗面器にお湯を張り、晴海の足を浸からせた。奥からバスタオルと毛布とジャージの上下を持ってきて、着替えるように言った。晴海はその時初めて頭からずぶ濡れの自分の姿を知った。

晴美「ご、ごめんなさい...ご迷惑をおかけしてしまって」

相馬「身体を暖めてください。温かい飲み物を作ってくるので、私が部屋を出たら鍵をかけて着替えると良いでしょう」


     ◇

 4年前の彼は名前を波多野と名乗っていた。

 彼はある企業の監視下におかれ医療行為を行っていた。企業が身分の保証をしてくれているお陰で、医師免許の取得が出来た。さらに一番の目的である遺伝子の研究が出来た。時折企業が有利となるような人物を優先的に治療しなければならなかったが、やりたい研究ができるのであればなんら問題もなかった。

〈地球と同じ星にする〉
 それが彼に与えられた課題だ。

 この星は生物が多い。しかも生物は生きるために他の生物を脅かす。ウイルスや細菌、寄生生物そして、人間もだ。それらにより多くの病気も引き起こされる。自らの体の中で多様な要因による遺伝子の変異が起こす病気もある。
 波多野の研究は否応なしに多岐にわたってしまう。それでも、自分の星に、真っ青な空が広がり、緑の木々が自生し、動物が駆け回り、鳥が飛び、川があり水中を魚が泳ぐ、そして、人々が家族を作り共に暮らしている光景を、常に夢に描いてきた。


 彼の星KPnsは太陽に似た恒星KPを周回する惑星だ。地球と同じ天の川銀河系内にある。天の川銀河の直径は約10万光年。地球と恒星KP間の600光年は比較的近い距離と言える。

 恒星KPから程よい位置、つまり生き物が存在できるような環境の位置で周回する同じような3個の惑星のひとつが波多野の星KPnsである。この惑星は形を有するもの《shape》とMIND(思念)だけで形の無いもの《shapeless》が共生している。もうひとつの惑星は生命の存在が無いKP3。3つ目の惑星KPazには《shapeless》(形無き者)のみが存在する。

 彼の星も元々は《shapeless》(形無き者)だけであったが、はるか昔、形を持つことを願う個体が現れた。MIND(思念)には時間も距離も無い。その解放されているMINDは静かに音のない恒星KP系の空間に在った。形を求めた者が原子をかき集めて身に纏ってみたが、形というものには程遠かった。

 宇宙空間を漂うことの出来るMINDもやがて滅びる。そしていつの間にか新しいMINDが発生するが、形を得ようとしない者は放っておかれるだけだ。形を得ようとするMINDは天の川銀河系内に探索にでた。そして生物の住む地球に出会った。地球を参考にした事実は模倣された遺伝子でわかる。

 地球の生物を模倣して、原子をかき集め人間形の入れ物を手にいれ住む場所がある《shape》になったことで、お互いが認識できるようになり、時間が発生し、歴史が動いた。約50万年の比較的短い進化の流れだ。

 入れ物ができた《shape》は自身の遺伝子の組み換えにより、長くて300年程の寿命を維持できる。KPnsが恒星KPを1周するのは290日。地球時間であれば240年程の寿命となる。寿命を延ばすための遺伝子組み換えや、《shape》になるには、惑星KPns上でしか叶えられない。

 昔、入れ物はクローン技術で複数作成されたが、見た目が同じであるため各個人の識別の難しさが後々問題となり中止された。以降、多様に変化する遺伝子を作り、見た目が違う入れ物を作成することができた。高い知能と技術(スペック)を持つスペシャリストによりこの星は支えられている。スペックと記憶の継承の為、スペシャリストはクローンの作製が許可されている。しかし重複を避けるため寿命が尽きた後に1体だけという規則がある。自然交配で生まれた《original》の子供を失った親が子供のクローンを願うような場合や恋人や配偶者を失った場合も特別審査にかけられ、可否が決まる。これらは星の機関であるTop(中央省)が管轄している。誕生した《gemini》(クローン)は5歳から20歳までに前世の記憶がインプットされた。人格の尊重が謳われてからは、スペック以外は自由意志となっている。

 近年、《original》も増えてきたが、まだ出生率は低く、亡くなる子供のほとんどは遺伝子の欠陥によるもので、遺伝子を自ら組み替える能力がつく前に亡くなっている。寿命も平均30年程と短い。遺伝子をどんなに模倣してもKPnsと地球間での出生は0%だ。また、全ての亡くなった者がRequest(クローン申請)されるわけでもなく、《shapeless》から形を求める者も今の時代、稀だ。よって、個体数は減少の一途を辿るだけだ。

 波多野は地球の生物を彼らの星にTRANSする実験を行ったが、失敗だった。しかし、遺伝子だけを原子レベルに分解しTRANSさせることは成功している。地球のスペシャリストのクローンを作る研究は完成段階に入っているが、《original》の出生率を高くし寿命をのばし、地球上の害のない生き物を彼の星に発生させることは容易いことでは無い。

 波多野は《gemini》3代目だ。

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