死ぬ前の楽しみ

小さい頃からなんとなく、わたしは30歳で死ぬと思っている。
大学生で就活が終わったときに、そろそろ終活を始めなきゃと思って、諸々の契約や連絡先なんかを整理したり、遺影に使ってほしい写真を撮ったり、棺桶に入れてほしい物を考えたり、両親のことやお金のことを気にしたりした。会社に入ってからは、上司や同僚の目を盗みながら自分が死んだ場合の会社の対応を確認した。

何かの宗教を信仰しているわけではないけれど、ひとりひとり、いつどのように死ぬかは生まれた瞬間からさだめられていると思う。
悲しいしやりきれないこともあるが、この世界で生きるってそういうことだ。
わたしの場合は、30歳で、車での事故死。
昔からそういう映像が、何度も何度も、ふとした瞬間に頭の中に流れている。


長く入院していた祖母は、病室の何もない空間を指差して、「子どもが2人いる。こっちを見て睨んでいる。」と、とても怖がっていたそうだ。
その数日後、病院のベッドで息を引き取った。

病により入院が始まった祖父は、病室の何もない空間を指差して、「子どもが見える。手招きされている。」と、呟いていたそうだ。
その数日後、病院のベッドで息を引き取った。


わたしも数年後、子どもが見えるのだろうか。
きっと自殺してしまったら会えなくなってしまうから、ゴールの30歳まで、がんばって生きよう。

少し怖いが、楽しみである。



ところで遺書ってどんなものに書いてもOKらしいんですが、遺書のためのかわいい紙って需要ありますかね。デザイン考えてみようかな。