おとな友達

今、友達、いる?
はて「どこからどこまでが友達?」

友達の定義が年齢と共に変わっていくことに
最近気づいた
未来がたくさんある時には、ちょっとした知り合いだって、これから仲良くなる可能性があった。
そう、友達かどうかはこれからの可能性の領域なんだ。
だから、若い頃は、友達が多い。
何でもかんでも友達、昨日知り合っても友達。
なんなら、明日知り合う人だって友達だ。

自分の許容範囲もめちゃくちゃ広い。
趣味が合わなくても、考え方が違ってても、
生まれや育ちが噛み合わなくても、
どこかに折り合えるとこがあると信じられた。

自分の許容や好きなものが増える可能性、同じように自分も周りの人達の許容度を信じ、期待した。

年齢を重ねるに従って、自分の許容範囲が狭くなっていった。
人にも物にも、嫌いなものが増えた。
表向きには、大人としての振る舞いをしながら、その実、心の中では許せないことや疲れる人が増えた。
それは同時に、私もまた疎まれる存在だろうと想像でき、そんな思いをしながら付き合うことが必要なのか、という素朴な疑問に突き当たった。

友達がいない、と言うと、人として不完全なように思われる。人間は社会性のある動物なのだから、最低限のコミュニケーションくらい取れないのか、と。そのくらいの努力と能力は持ってろと。

人の良いところを見ましょう。
人の欠点も受け入れましょう。
人と助け合いましょう。
心を通じ合わせましょう。
etc、etc...

何のために? なんて考えるな
難しいとか無理とか 面倒とか言うな
どうせわからないとか思うな

ともだち、って何だろ?って、いつも考えてしまうほど、私は多分友達が欲しいんだ。
そこがぽっかり空いているから。



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