トランスジェンダーとその認定について

まず、いまの反トランスジェンダーの動きについて、トランス女性が特に攻撃されています、トランス女性を擁護するのは当然で、わたしもそうしますが、ノンバイナリって忘れられているような気がして、書き留めておきたいと思いました。
当たり前だけど、トランス女性とシス女性は違う。経験も違うし、ルックスも多少の差異はできるだろう、背が高い人もいるだろう、それを受け入れて、まるっと女性にしましょうということなんですよね。でも、それをいうとTERFにつけ込まれるし、なにかはっきり言えない雰囲気になっている。ターフのいう女性の定義を変えるというのはある意味正しいのに、そうは言えない。パス度って、そもそも性別二元論に縛られたもので、そこをもう少し緩やかにできないかということなんですよね。それが、いまの議論だと、トランス女性はまったくシス女性と見分けらけないものとしないといけないので窮屈な議論になっていると思う。実際のトランス女性を知ってもらって、そんな悪いことをする意思はないということをわかってもらえればと思う。
日本では最初はGIDが広まったので、トランスジェンダー(性別越境者)となのる人は、性別二元論に縛られない自分はGIDではないという矜持を持って名乗っていたはず。ところがいまは排除派が強固な二元論の支持者であるから、反論し、一般の人に受け入れやすいようにGIDとの一体化が図られて、トランスジェンダーも性別二元論に押し込めようとしているように思える。アライの人は特にそうかもしれない。わたしはノンバイナリを名乗っているのはGID化されるのが嫌だという主張を込めている。あえて、クイアだと。そういう人を受け入れていくのが本来の多様性ではないのか。さいきんの議論はあまりに窮屈に二元論に押し込めようとしているようにすら見える。ノンバイナリは無視され透明化されている。
ここははっきりとさせておきたいことと思う。

その前提ありきで、さきほどのノンバイナリでクイアな話と相反するようですが、いまの反トランスの動きは一部のヘイターに限られていますが、これは実はシスジェンダーのかなりの人が持っている、心の中のトランスフォビアを刺激していると思います。なので、法整備がどうなるかで、いまGIDとして認められている人まで疎まれ嫌われる可能性があります。日本人は人権ということをほとんど理解しようともしないからです。ですから、これから法整備にあたっては、まずはGIDとその周辺の人を認定して、理解を広げていくようにしないと、世論の反発を買い、トランス全体が悪魔化される恐れを感じています。わたしはペシミストなので。
なのでトランスジェンダー全体を救うことは二の次で、性別変更の制度については、まずはなんらかの「診断」を厳しい目にして、認定、救済を図らないと、まずいと思っています。
わたしやそれに近い人は当面認められなくても仕方ない。仲間を振り落とすことになりますが、そこでの分断は避けたい。コミュニティなどでは仲間扱いして欲しいものです。
いまのトランスジェンダーへの反感は放っておくと大変なことになりそうに思うので、なんとか、みんな安全にやり過ごしてほしい。生き延びて、徐々に世間の意識が変わるまで、次の機会を待ちましょう。

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