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腕の月

月が痛んでいる。
川の奥の暗い場所で静かにゆっくりする必要がある。

月はいろんな人とお話をするのが好きだ。
その人にいま、「あることば」が必要だとわかる。それをどうしても伝えたくなる。どうしてだかわからないが、それが自分の役目なのだ。だから、「あることば」を月は探しに行く。川底に沈み、息を止め、耳を澄ませる。そこでことばのかたちを手探りでつかみとり川面に上がる。その人にわたすために。


そのことばの分だけ、からだがへこむ。ちょうどかたちのぶんだけ。役目を果たしたはずなのに、果たせば果たすほど空洞が増す。果たそうとすればするほど血が滲んでいく。最後は伸ばす腕だけになって、川底に降りていく。もう腕でしかない。それでも、ことばを探している。もうほとんど音も聞こえないのに。


腕のまわりで泥がゆるやかに渦巻き始めた。このまま静かに横たわっていたい。もう、川面に上がることもないのだろうか。川の黒に巻き込まれながら、泥のように捻じれていく。泥はぴったりと絡みついてくる。肌をたどる。すいついてくる。とうとう目の前が真っ暗になってきた。泥に隙間なく包み込まれて、闇の密度が黒く凝縮していく。


完全に泥に覆われたかと思ったころ、外側では、少しづつ泥が溶け始めていた。ぼんやり水中でチリのように舞う。泥と混じり合い、どこかへ消えていくのかとおもう。チリは水の揺らぎに合わせてチカチカ無数に光っている。

画・文 Rumiko Hosoki

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