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穿つ呪文

わたしは多くを持たない。時間がない。だから今、この瞬間に全身で何かを写しとろうとする。足元の土にたくさんのエキスが埋もれている。でも、焦ってはならない。ほんとうにこれだというものを見極めつかみとるのだ。選びとる目を大切にすることが、わたしを時間に生かすのだ。土を削る振動で、人々の背中が貫かれぶるぶる震えていた。つかみとった記憶が心臓に刺さり発火する。痛みと衝撃でいっぺんにすべてが土に戻ろうとした。なんとか目をこじ開け心臓をまさぐる。地図が透け見えた。それを身にまとい歩き出した。

まるで一人きりだった。大きな顔のように見える岩盤にたどりつたとき、また土を手にとった。さまざまな色の土、硬い土、柔らかい泥。それらを両手で岩に擦りつけた。きっとつかめる。それは土の重なりから現れるのか。それとも岩の奥で触ることができるのか。つかんでこねて練ってまた泥を浴びせる。またこねる。つかむ、ちぎりとる。掘る。しかし、繰り返すたび土の面はのっぺりとしていく。わたしは尖った小石を拾って、岩盤にラインを描こうとした。でも、思うような線を刻めない。もう夜だ。

一息吐いてから、なにかがあらわれてはいないかとぼんやり岩を眺める。しかし、描いたはずの線はたくさんの小さな傷になって岩肌に点を残しているだけだった。自分の荒い息づかいしか聞こえない。岩は傷と泥で濁っているだけだ。

月の角度が変わった。岩に穿たれた点が鋭く光り始めた。泥が乾き、もやが立ちのぼる。空気が揺らぎ、もやの狭間で点滅するように見えた。尖ったなまなましさが消えていく。

ちかちかしていた星座の背後で空が明るくなり始めた。

絵・文 Hosoki Rumiko

穿(うが)つ呪文 2017 


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