ミドルになり自分にフォーカスして生きていく自分らしい生き方。

『私という生き方』

今は何にもとらわれず、時計も気にせず本を読んだり若い時にできなかった勉強をしたり、日向ぼっこしながら花を育てたりとゆったり過ごしている。これが『私という生き方』

これが心地いいと感じているし

自分らしいと思う。

わずかな貯金で過ごし何がしたいという訳でもないが、一度立ち止まり残りの人生をどう生きるのか模索していると言った感じだ。きっかけは体調を崩し就労不可になったことに始まる。お陰さまで今は体調はだいぶ良くなった。しかし就労はまだ出来る状態ではない。自分の中でこのままでいいのかと自問自答するが、慌てる必要はないのだと言い聞かせ、一日一日をわりと前向きに探りながら過ごしているのだ。しかしミドル世代になり突然『自分らしく生きる』と言ってもこのような生き方はなかなか周りには理解されにくい。(私の周りだけかもしれないが、、、)

六十代、七十代になった時に困らないだけの貯金でもあればここまで心配されたり干渉されたりしないのかもしれないが、人の死亡率は百パーセント。その日がいつ訪れるか分からないのに人目を気にしてばかりの生活には息苦しさを感じてしまう。きっかけは体調不良でもいいタイミングでこの生活に入れて良かったと自分は思う。

最近、一年ぶりに友人に会い彼女が十年後、二十年後のビジョンを持っていることに驚いた。お金のこと、家族のこと、自分の身の振り方まで。とても立派だし今現在も仕事に家庭に頑張っている。それと比べたら自分は自由な時間を過ごし隠居といってもいいくらいのんびり過ごしている。人は人。自分は自分そう思っていた。ここまでは今の自分のライフスタイルに違和感など無かった。むしろこのようなライフスタイルも悪くないと言いたいくらいだった。

彼女に『いいなぁ。そんな暮らししてみたいよ』と言われてちょっと嫌な気持ちになった。五十代はまだまだ働き盛りなのに自由を満喫するなんて贅沢。。。

『老後心配じゃないの?』もしかしてそう思われているのでは?と。言い方は悪いが 『気楽だね~』と言われた気がした。

この一見のんびりしているような生き方も実はそんなに悪くはないが取りたてていいものでもない。確かに時間はあるし自分はこれでいいと感じているのだが。生活はつつましく最低限だし頼れるあてもない。たまたま食べたり住むところが今はあるが先の保証などない。時代の流れとともにライフスタイルが多様になり、働き方、人間関係、家族のあり方等々悩ましいことに日々襲われているのだ。そう見えないかもしれないが ”もがいている”のである。自分の体調にしても、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった事だし考えと現実は別なのである。

だから以前にも言った『時間だけある暮らし』は自分だけで過ごしている時には多少の迷いや不安があってもストレスなく過ごせるのに、他者に現状が知れた途端、優雅で羨ましいということになってしまい生きづらさを感じてしまうのだ。自分としては彼女のような仕事も家庭もバリバリこなす生き方もいいと思うしフリーランスや専業でやっていくのもいいと思う。こうでなければいけないとか、人の道に外れているなどとは思はない。

いろんな意見があると思うが、自分のようなミドル世代が今だけにフォーカスして過ごすことに違和感や抵抗を感じる人が居るのは事実なのだ。自分は自分。そう思っていたはずなのに、たった一言でそれが崩れてしまったのだ。メンタルの弱さを痛感した。これが今後の課題なのだろう。自由な時間を過ごしつつも頭はしっかり使えと言うことだと思い今から自分の生き方に自信を持ち他者と比較することなく、しかし協調しながらこの先を生きていこうと思う。他者に会い一瞬自分を責めたが、これは他者と関わりを持つことで気づきがあると捉えればなんら悩むこともなかったのだとこのnoteを書きながら思った。矛盾もあるが多めに見ていただければ幸いです。

多分、どんな人生であれそれは人それぞれが作り出すもので

誰にでもどこかにいい人生だと思えるものがあるはず!

『令和』という新たな時代に『私らしい生き方』を改めてスタートします。

そう信じて明日を迎えたい。

最後までお付き合いいただき有難うございます。


#令和 #ミドル#人生#生き方



地味な内容にも関わらずサポートして下さるとは感謝しかありません。私の未来に投資します。スキをしていただけると夢見がいいです♥