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la la la 133. たとえばLady Godivaが教えてくれること(By ラム子)

こんにちは。そういえば最近わざわざ説明していなかったのですが、記事によって微妙なカテゴライズをしていて、特にスピリ寄りなものは(By ラム子)、より現実的地続きな案件に関してーーたとえば人間関係などーーは(By も)、それらを統合したような内容、例えば古くから日本に伝わる風習とか神道とか暦の紹介などは(By 古の魔女)となっています。
特に大切だと思うことは風習とかと関係なくても(By 古の魔女)としています。そんなわけで今日お伝えすることは、ちょっと宙に浮くような話、でも”あるある”話でもあります、皆さんがこのエピソードをどう受け取り日々に生かすか、あまり気にしないで流すか、それも皆さんにup to you.
そう、例えばLady Godivaが教えてくれること。

これはいわゆるユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞にも出てくる”目に映るすべてのことはメッセージ”的な回です。そういうシンクロニティを重んじる人には面白い話だと思うのですが、わたしはこの1週間で何とGODIVA(ゴディバ)のチョコレートを3人の方から一気に貰いました。
それもささやかなサイズではなくって大きいもの。最後に貰ったのは何と引き出しがついて、食べ終わったあとはアクセサリー入れにもなるメイクボックスみたいなサイズのもの。

このことが、わたしにはすっごく不思議で、何らかの伝令のように思えたんですね。というのも、ゴディバはわたしが地元の滋賀で学生だった頃、唯一のおしゃれなチョコレート屋さんみたいな感じで、みんな良く知って買っていました。けれども東京に来てからはおしゃれなチョコレート屋さんなんてすごくたくさんあるし、少しづつその「ゴディバ」という名前は遠いものになって行ったんですね。おまけに1月末から2月って、日本の文化的に、自分が男性にプレゼントすることはあっても、貰うことってないし、
しかも100歩譲ってチョコレートの季節だと言っても、ここ10年、こんな風に集中して誰かにゴディバを貰うことって一度もなかった。それが1週間ほどの間に立て続けに3回も続くなんて、ある!?

一連の出来事の最初の始まりは1/31のわたしが夜のお仕事を終える最終日でした。2人のお客様が二人ともなぜか”GODIVA”をわたしにくださったのです。いわゆる”被り”というやつ。笑。これって実は銀座ではとても不思議なチョイスで、銀座にはマルキーズとかピエス・モンテとか差し入れに定番のお店があって、それが重なることはあっても"GODIVA"が重なるなんて、何かしら奇妙な感じ、不思議だなあということを思っていました。そうこうしているうちに、先日ここでも書いたかもしれませんけれども、地元の友人が「息子の上京に際し家探しを親身になって手伝ってくれた」ということで家にお礼の品を送ってくれたわけですが、それが極め付けの、2段になっている引き出し付きの"GODIVA"だったのです。

(⤴︎全部チョコの写真にしたら圧迫感あったので違うお菓子を載せます)

いやこれって、さすがに何かしらのお伝えあるよね。
2/1から不思議なことが続いていたわたしはそう思いました。でも。
どうやってその伝令を見つければ?
ゴディバという言葉にメッセージがあるのか、チョコレートを贈られることにメッセージがあるのか、うーん、難しい。

それでまず「GODIVA」という言葉の意味を調べてみたんです。言葉から入ってしまうところがやっぱ物書きですね(笑)
するとすぐにGODIVAの公式ページにこんな言葉を見つけました。

「ゴディバ」の名は、11世紀の英国の伯爵夫人レディ・ゴディバに由来します。 「ゴディバ」のシンボルマークである、馬に跨った裸婦こそが、重税を課そうとする夫を戒め、苦しむ領民を救うために、自らを犠牲にした誇り高き彼女の姿です。(GODIVA HPより)

引き続き読んでいくと「レディ・ゴディバ(ゴダイヴァ)」伯爵夫人の物語が現れました。


領主レオフリック伯爵とその美しい妻レディ・ゴディバの伝説は、1043年、英国の小さな町コベントリーで生まれました。
レオフリック伯爵は、コベントリーの領主に任命され、この小さな町を豊かで文化的な都市へ発展させようと決意しました。大変信心深かったレオフリック伯爵とレディ・ゴディバは、初めに大修道院を建設しました。
修道院はさまざまな宗教的、社会的活動の中心となり、この成功により伯爵の野心はますます燃え上がり、次々と公共の建物を建てては、領民から取る税を増やします。あらゆるものを課税の対象とし、肥料にまで税金をかけ、領民は重税に苦しみます。心優しいレディ・ゴディバは、貧しい領民にさらに重税を課すことがどんなに苦しいことか、伯爵に税を引き下げるよう願い出ました。伯爵は断りましたが、彼女は何度も訴えます。ついに議論に疲れた伯爵は、彼女に告げます。
「もしおまえが一糸まとわぬ姿で馬に乗り、コベントリーの町中を廻れたなら、その時は税を引き下げて建設計画を取り止めよう。」
翌朝、彼女は一糸まとわぬ姿で町を廻りました。領民たちはそんな彼女の姿を見ないように、窓を閉ざし敬意を表しました。そして伯爵は約束を守り、ついに税は引き下げられました。 (同じくHPより)

わたしは予想もしなかった強いメッセージに頭が”がぁーん” と殴られたような気になりました。それにはこんな背景があって「レディ」というのはもともとわたしの中では大きなモチーフであり、かつて自分が作った演劇集団にも”Lady June”という名前をつけていたんです。そこからJuneだけが残り、2012年に出版した「誰かJuneを知らないか」という本に繋がるのですが、
その少し前にLady Gagaが世界に現れました。当時のわたしの印象ではわたしと同じようにその言葉に注目し”レディ”という言葉をアーティストネームに使う人が現れた!という感じ。
わたしは今、表立って「レディ」という言葉を使わず「マダム」という言葉を多様しています。「夫人」という言葉を使っています。昨日TOPに使った白黒写真は、わたしが「夫人」と呼ばれる謎の女性に扮している時の写真です。レディ・ゴディバは伯爵夫人ですからマダム・ゴディバでもあるわけです。あまり細かく説明してもと思うのですがわたしはこんな伝令を受けたように思いました。
「立ち上がる時は来た急げ」「やるべきことはわかっているな」
というすでに自分が自覚している伝令に加えてさらに強い伝令です。
「裸で馬に乗って町中を廻るくらいのことをやれ」
という伝令です。これが一週間に3回来たと思っていいのです。
身を呈してでも人の心を打ち誰かを動かすような大きなアクション、を求められているのだと感じました。

「目に映るすべてのことがメッセージ」ってスピリ的な土俵では言うけれど、結局は受け取る人がどう考えるのかにかかっているとわたしは思っていて、実際はそんなメッセージは存在しなかったとしてもいいと思うのです。
もしわたしが「架空のレディゴディバ」から「架空のメッセージ」を受け取った「気がしている」だけでも、
要は自分が何かを強く感じた、その感覚が大切だと思うのです。

何度もこのマガジンで、なのですべては自分次第だとお伝えしているのですが、例えばLady Godivaが教えてくれること。
例えば日々の中であなたが引っかかる、気になるメッセージ。
それを時には掘り下げてみても、面白いのかなあって、思います。
あなたもあなたの”伝令”を見つけて。

(⤴︎ ジョン・コリア作「ゴダイヴァ夫人」。1898年頃の作品)

余談ですが、皆が夫人に敬意を払って彼女の姿をみないようにした中で、
唯一その裸を覗き見をした仕立屋がいたという逸話があって、これがイギリスでは覗き魔を現す「ピーピング・トム(覗き屋トム)」の語源になったのだとか。本当か嘘か。それを決めるのもあなたでいいと思います。

それでは、らるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ