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la la la 80. Banksy(バンクシー)が教えてくれること。(By ラム子)

こんにちは、不器用さんに贈る「東の魔女の暮らし」です。
不器用さんの”今”(日々)がほんの少しでも生きやすく、心地よく、喜びに溢れたものであるように生活の智慧(アルス)を伝授します、ということなのですが、時には面白い知恵を”紹介” する回があってもいいのではないかな? と思い、今日はロンドンの街中から生まれた覆面アーティスト”バンクシー”が教えてくれること。

今朝、ワオ! というニュースが飛び込んできました。ササビーズのオークションで 1億 5千万円の値段で落札された”バンクシー”の絵が、落札直後に額縁に仕掛けられていたシュレッダーにより切り刻まれてしまったのです。
このシュレッダーを仕込んだのはバンクシー本人と思われ、
自身のインスタグラムで「Going, Going, Going...」のコメントともにその様子を投稿している。

バンクシーが教えてくれること、を理解するには、バンクシーがどういう人かを知っておいたほうが良いので、簡単に説明します。

<バンクシー(Banksy, 生年月日未公表)>
イギリスのロンドンを中心に活動する覆面芸術家。
社会風刺的グラフィティアート、ストリートアートを世界各地にゲリラ的に描くという手法を取る。バンクシー本人は自分のプロフィールを隠そうとしており、本名をはじめとして不明な点が多い。
街中の壁にステンシル(型紙)を使って反資本主義・反権力など政治色の強いグラフィティを残したり、メトロポリタン美術館や大英博物館などの館内に、自らの作品を無許可で展示するなどのパフォーマンスにより、一部の人々からは「芸術テロリスト」と呼ばれている。

また、街頭などへのディスプレイにこだわって芸術活動を行っており、企業の商品とのコラボレートやミュージシャンのアルバムジャケットの依頼等はほとんど全て断っている。(By Wikipedia)

つまり、こういった信念の元に覆面で芸術活動を行っている彼が、自身のあずかり知らぬところで自分の絵が、芸術としてというよりも”株”のトレードのような感じ、つまり富裕層の資産管理の一環として高値で取引されることを、どう思っているか、ということなのです。
きっと当然うれしく思っていませんよね。

        (⬆️シュレッダーで刻まれた絵)

芸術が好きだったり絵が好きな人は、絵画にまつわるこの理不尽というか皮肉、を理解してくださると思います。絵描きというのは昔から、無名であれば社会的地位もありませんし、貧しい生活を強いられながら絵を描き作品を作り続けてきました。ゴッホやルソーなんかも、生活に困窮して追い詰められていきます。そしてその絵を、彼らが生きている間に認めることができなかった、その絵を解することができなかった人たちが、同一人物ではないにせよ、例えばそのサザビーズのオークションなので落札しているような富裕層とか、それでお金を動かしている人たちだったりしたわけなのです。
(これは今回落札した特定の人を非難する投稿ではありません!)

つまり生前2枚しか売れなかった、誰も見向きもしなかったゴッホの絵などが、当時ゴッホやルソーに辛酸を舐めさせてきた種類の人間によって(乱暴ですがまとめます、権力サイドとして)、現在は何億円でもって取引されているんであって、そしてそれはもうゴッホの人生やゴッホの作品やその魂とは無関係のところにある動きであるということです。もちろん美術関係者や美術館、博物館など、絵画を守る動きの中で行われている流れもある、
でもそういう一面もある。銀座の飲み屋などで話していると、その芸術家をよく知らないままに「誰々の絵を持っている」とその所有を「富」の象徴として話す人がいます、その度にわたしは寂しいと思います。

けれど「だからってどうすればいいの」「この仕組みはどうすることもできない」そんな風に考えていたわたしを、あまりに驚かせる、それはバンクシー本人による、突拍子もない秘策でした。

わたしは思いました。「生き様を、あきらめてはいけないのだ」と。
世の中には理不尽なことが多くて、愚痴を言ってそこに留まったまま生きていくより、じぶんの日々をクリエイティヴ(=生活の叡智としての)に過ごして行ったほうが絶対いい。
そう思ってわたしもこのラララ世界をやっているのですが、
バンクシーは日々を ”らしく” クリエイトしながら、文句や愚痴ではなく、タイムカプセル式シュレッダーを発動し、自身の絵を粉々にする、というやり方で、絵画を取引する金持ちたちを唖然とさせ、オークションに一石を投じました。「ハイ、あなたが買った1億5千万円の絵は、直ちにゴミくずになりました」という現象はもう、これ自体が巨大な風刺で、巨大なライヴアートだなあと思うのです。鮮やかな手口で、膨れ上がっていくマーケットのど真ん中でも彼は彼の生き様を貫き、それを世界に見せたのです。なんて粋なやり方でしょうか。

バンクシーが教えてくれること。
バンクシーが教えてくれたこと。
巨大なマーケットの中にいても、智慧を絞れば、埋もれずに自身の信じる己(おのれ)であり続けることは可能であるということ。
黙ってひれ伏さなくていい、粋なやり方が、どこかにあるということ。
それはまさにartの語源となったラテン語「ars(アルス)=生活の智慧」そのもの。バンクシーは大胆かつ予想もつかない手法で、これからもわたしたちを驚きとともに楽しませてくれることでしょう。

※これに関して補足記事を書きました。ササビーズとバンクシーはグルだったのか案件について「すべてはイニシアティヴの問題である」ということ。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ