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la la la 62. 悪魔にも敬意を(Byラム子)

こんにちは。ちょっとショッキングなタイトルですが、お伝えしたいことを和らげて言葉にするとこんな感じです「あまり善悪ばかりで物事を判断しない」これは道徳を言っているのではなくって、あくまであなたにとって良いことではないかなと思って言ってみました。ラララ世界は光とともにあるマガジンですが、何度もお伝えしているようにわたしは綺麗事を語るつもりもないし”魔”とか”邪”とかを徹底的に排除するつもりもありません。なぜならそれらすべてを含むのが「世界」だからです。
なのでわたしは「悪」にも「悪魔」にも敬意を払っています。
(というか明確に敬意を払うようになったのは最近のことですが)
敬意というのは、一つあげるといつもお伝えしている「正しく怖がる」2つあげると「高級悪魔がその名の下に行う悪に介入しない」ということでしょうか。その名というのは名前のことではなくて、彼らなりの筋の中でポリシーに沿った、という意味です。

今日、ちょっと”不器用さんに贈る”には少し難解かもしれないのですが、わたしにとってこのマガジンの本質を確立する一つの節目であるし、これから左に「あのla la la 62のことですが」と言った感じで引用しながらくりかえし語って、きちんとお伝えしていけたらと思います。

これはわたし個人の価値観ですが、わたしの中でとるに足らないものというか、どうでもいいもの、もう少しはっきり言うと、ちょっと邪魔なもの、とは下等で低級なものです。どういう意味かと言うと、純度が低く中途半端で突っ切ってないもの。低級悪魔、低級善人などです。

たとえば必要以上に「不倫」を糾弾して、全くじぶんと無関係の人間に制裁が加わるまで「正しさ」を盾に攻撃をし続ける人。これらの低級善人は同時に低級悪魔とも言えるし、結局低い次元のところでどちらかわからない。わたしの中でとるに足らないものとはそういうものです。
けれどもその人に焦点を当ててみた場合、その人がなぜそんなことをするようになったのか、その背後にはおそらく物語があって、
人を攻撃する人の苦しみとか痛みがあるでしょう。もしその人が誰かを攻撃しながらも救済を求めていたら、その人はある意味、わたしが光で包むべき「不器用さん」にもなります。

つまり光と闇や善悪は立ち位置の問題でもあって、わたしにとって同じ人でもこの使命を邪魔する場合は低級善人(または低級悪魔)であり、救済を求める場合は「不器用さん」ということになったり、します。

道徳を説くことはいいことかもしれないけれど、その道徳で「圧」をかけるようになったらそれは、ある人にとっては「悪」と言えるかもしれません。
よく特殊加工をした紙で、右からと左からと2種類の絵が立ち上がってくるあの仕組みみたいに視点によってそれはまるで別のものになるのです。

そこでわたしがお伝えしたいのは、そういう様々なアングルからみた善悪の相関図の話ではなくて「あなたはどうなのか」というピュアな問いかけなんです。

ある女の子がわたしのところに相談にきてくれたのですけど、
その子はちょっとやんちゃで魅惑的な女の子で、わりと危なっかしいこともする。そしてその危なっかしさは、割と大人たちの眉をひそめさせることもある。例えば急に住む家がなくなって、とある男性の家にお世話になっています、みたいなことなんかになった時に「そういう(善意ある男の人を利用するようなの)もうやめなさい」「そういう”女”でいることをもうやめなさい」と周りには言われたりするという話があるとします。
(よくある話かな。笑)

まず第一にそういうアドバイスをしてくれる人たちが周りにいる環境は、割と一般的な言い方だと「まとも」であって、わたしが20代の頃働いていたClub世界なんかはみんながそういう刹那的なテンションで生きているのが普通だったので多分その世界なら「タダで住めるの? やったじゃん。一回くらいお礼にセックスしてやれよ」みたいな話になっていたと思うのですね。
その世界観の中では「来いよ」って言ってくれる人にお世話になって、いい人だったら一回くらいセックスして、気があったら付き合っちゃう、みたいなのが何が悪なのかわからないという感覚です。

だからそういう時に大切なのは善悪や「こうするべき」で判断することじゃなくて「じぶんはそういう生活や価値観に向いているのか、フィットしてるのか」だと思うのです。ちょっと極端な例を出すと、策士的な生き方をして相手を利用したり騙したりしていくということが仮に「良くないこと」だとして、大切なことは「こういうことしてたら良くないな」とかいう善悪の判断ではなくて、じぶんのフィット感です。
そこに多少の座り心地の悪さや疲労を感じていたら、直ちにやめた方がいいと言うことです。なぜならそこがタイトルに繋がるのですが、
「悪に敬意を」ということなのです。
敬意を払いましょう、と道徳的に言っているのではなくて、
そうじゃないとあなたのライフは大変危ない、ということなのです。
正しく恐れて欲しいのです、じぶんに悪に踏み入るポテンシャルと資格があるか。悪は、取引と報復が基本です。搾取したら搾取される。何かをもらおうとしたら何かを差し出さなくてはならないし、相手をコントロールしようと思うと、いつの間にかあなたがコントロールされている。
そこをかい潜って生き残る、じぶんにその才覚はあるか。

わたしが”そういう生活はやめた方が良いのでは?" と提案するときは、
その子には白い力の方が強くあって、悪のポテンシャルがないと判断した場合です。わたしはこれまでで一度、悪のポテンシャルを持っている子に会ったことがあります。黒い太陽みたいな子で、突き抜けたポテンシャルは、陽の光も持っています。妖しい”陽”の光。
今から思うとあれは高級悪魔だったのだなと思います。
迷っているうちに悪に絡め取られて呑み込まれた陰気な悪じゃない、
純正の悪。

なぜこんなに時間をかけて悪の話をしたかというと、
今まさに書いたように「迷っているうちに悪に絡め取られて」欲しくないから。悪には強いポテンシャルが必要です。強い ”善” は反転して悪にもなります。映画みたいな話だけども世界を浄化するためには一度人類を一掃しなくてはいけないと”心から信じている”人たちとか。そこまで行くと黒か白か善か悪かわからないので、わたしは使命的にはそこに介入する資格を持ちません。(これまでに2度介入し、2度制裁を受けています。2度目は最近)

そういうコントラストの強い話ではなく”迷い”という入り口が一番怖いのです。つまり低級善人が低級悪魔でもある波動の状態です。
ちょっとした悪意とかちょっとした嫉妬とか、ちょっとした損得勘定とか、
ちょっとした誘導とか。またちょっとした善意とか、ちょっとしたモラルとか、そういうの。そういうので安易に行動するのが危険だと本能的に感じている人が「関わるな」と言う言葉を使います。冷たいんじゃないんです。本質を知っているのです。

わたしはある一定の期間、わりとすぐに男の人と寝ていました。
けれども何かしらの隙間を埋めるためではなくじぶんの必要エネルギーとしてそうしていたので全く悪いこととも思わず罪悪感もなかったので、悪に絡みとられることはありませんでした。性行為はエネルギー的にも危険な行為です。ある意味一つの錬金術だからです。つまり迷いが一番危険。
続行するならモラルを忘れる。女性なんだから体を大切にとかモラルが頭に浮かんできたら、そういう行為はやめること。重要なのは善悪ではなく、道徳でもなく、迷いと罪悪感を伴わないこと。

振れ幅の小さな善悪でものを決めない。
振れ幅の小さな損得勘定でものを決めない。

安易に入り口に入ってしまったら、とても危険です。
悪魔にも敬意を。
正しく恐れ、危うきに近寄らず。

これもラララ世界の一つの側面です。
悪なき世界もまた、存在しません。


それではらるらるらん♪
また明日会いましょう。

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ