『メメント・モリ』ブックカバーチャレンジ①

 学生時代、バックパックを背負って長期休暇のたびにアジアを旅していた。猿岩石がユーラシア大陸ヒッチハイクの旅をしている時期でもあり、流行りに乗っていると思われることもあったが、私が外交旅行を夢見て実現するようになったのは、全く別の理由だった。(そもそも電波少年はほとんどみていない)

 小学校の頃、正月に叔父がユーラシア大陸を自転車で旅をした話を酔っ払いながら時々聞かせてくれることがあった。国の名前も知らずに「なんだかすごいことだなぁ」と思って聞いていた。また、我が家にホームステイの留学生が遊びにきたり、大学で研究しにきている方々が遊びにきたりすることも何度もあった。自分の生活する環境とは違うバックグラウンド、言語に触れる機会があることで、そこに飛び込んで見たいという思いがいつの間にか自分の中に入り込んでいた。

 必然的に旅をするようになった。旅をしていると結構暇な時間が多いこともあり、旅人同士で話すかなで、様々なたびに関する本を教えてもらった。『深夜特急』の沢木耕太郎、『アジアンジャパニーズ』の小林紀晴、椎名誠、蔵前仁一、開高健。興味を惹かれるものもあれば、単に消費されるものも多くあった。

 旅と旅との間、学生生活を送っていたのだが、私たちの世代ではよくあったように、まともに大学には行かずに、ゴロゴログダグダ過ごしている時間が非常に多かった。その中で、次の旅はどこに行こうかということを常に考えていた。

 そのため、必然に本屋で手に取るものの中に、アジアに関するものが多くあった。本多勝一の『ニューギニア高地人』、川口慧海の『チベット旅行記』など、辺境を旅する旅人に憧れを抱いだいていた。色々な本を読み漁っている中で出会ったのが、藤原新也。出会いについての記憶はおぼろげだが、大学近くの古本屋に金色の背表紙の本が入っていたのは覚えている。それが『メメント・モリ』だった。

 本をめくると「ちょっとそこのあんた、顔がないですよ」と書いてあった。青年期にありがちな青臭い感受性の中にどっぷり浸かっていた私は、自分のことを言われていると感じてしまった。

 写真に短い文が添えられている。その一つ一つに、自分自身が旅をしていることの意味を、生活している意味を、生きている意味を再考させられることになった。特に、世界中のいろんなものを見たいと思っていたが、そのことが無意味であるとすら感じさせられた。

 旅をしている中で、世界の現実について、同世代の他のものより見ていると思い込んでいた。しかし、写真家“藤原新也”が見ているものは、同じ場所でも全く異なっていた。それは、行った場所というより、その眼差しの問題だった。いろいろなところに行くのは、普段と違うものが目につきやすく、刺激も多く、見た気になっているだけだということに気がついた。どこか遠くに行かなくとも、身近なものを自分の目で見つめると、見逃していることが多い。

 どこに行かなくとも、普段の生活で空を見上げる、目を閉じて音を感じる、裸足で近所を歩く。そうすると、自分が思った以上に世の中はわからないことだらけだった。わかったつもりになっていることの多さに気づき、わかった気でいた自分を恥じることになった。

 今でもわからないことだらけなことは変わらない。旅が好きなのも変わらない。でも、わからないから、目の前のことと向き合うことしかないし、旅に行けても行けなくても、新しい発見はどこにでもある。

 でも、気づくと自分が慢心の塊になってしまっていることがある。自分がわかっていることを相手がわからないときに苛立ってしまうこともある。同じものを見ても、見ているものはそれぞれ違う。相手が見えていないのであれば、見えないことを責めても、見えない事実は変わらない。さらに言えば、自分がわかっていることだって、不確かなものでしかない。

 だから、今でも時々本棚から引っ張り出して、『メメント・モリ』を眺めている。

 


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