見出し画像

共鳴するのはこころをゆるしているから

こんにちは。
ヒーリングアーティストの瑠莉です。

先日書いたこの記事。

推し活(自分の溢れ出る好きの話)を聞くと、聞いてる側も嬉しくなる。
という話をしました。
(※もちろん全てではありません。今回の記事も全てがそうであると言い切っている物ではないので、あくまでそういう一面や考え方もあるよ。と言う事のお話しです)


良くも悪くも
共鳴
というものは、「共に鳴る」と書きますが、実は心を許しているから起きる現象だったりするのではないかと思うのです。


例えば、初対面のあきらかに怪しい人に、ホイホイついてく人は少ないと思います。

「ハートチャクラにバリアを貼る」
そう聞くと中々自分には、出来そうにもない。
そんなイメージを持つ方は少なくないと思います。


でも「もうこの人と関わりたくないな。」
と感じた事はないでしょうか?
そうすると自然と素っ気なくなり、どことなくバリアを張っている事があると思います。


実は皆さん無意識のうちに、バリアを張っている事があるのですよね。
バリアと聞くと難しく思うのですが、実際自分でも出来ることだったりします。
火事の現場で息を止めるように。
生ゴミの匂いがきつい時に、鼻をつまんだり。
皆さんも、何かの影響を受けない様に守ったり、無意識のうちに、守ったり回避している事はありますよね。
体を守るためにやっている事がある様に、ハートチャクラも振るわせない様にする事もできるのです。


同じ言葉を言っていても

嫌いな人が放つ言葉と
好きな人が放つ言葉では
響き方が違うことがあるんです。



悪い例に例えてみるとわかりやすいでしょう。

「お前ブスだな」

この言葉を軸に
例えは悪いですが、私の実体験をもとに、4つの例をお話しします。


治安の悪いと言われている街で、道の向こう側から、あからさまにふらついて酔っ払ってる人がやってきます。
この人と関わったらまずそうだから、早く通り抜けよう。
そう思って少し身を縮めて、道を歩きます。
そして、すれ違いざまに

「おいブス!」

さてどうでしょうか。
その言葉はあなたに響きましたか?
あなたはこう思ったのではないでしょうか。
「酔っ払いに絡まれた、、最悪。」

警戒していたから、心にダメージが少なかったと言えますね。


先ほどと同様ですが
私は道を歩いています。
ですが、勝手知ったるいつもの帰り道。

ぼーっとしながら、信号いつ変わるかな、、。とのほほん。と信号待ちをしています。
ゆっくり歩いていたら、ペースが遅かったのかおじさんが追い抜かし際に言いました。

「とろとろ歩いてんじゃねえ!このブス!!」


いつもの安全な道で、後ろの人にも気がついてない状態です。
初めてのことだったので、警戒心がなく、そんなことを言う人がいると思わない状態で、聞いた言葉は、まぁまぁ傷つきました。

初対面の知らない人は、何をしてくるかわからない。
このバリアがない状態だったので、わたしの心に響きました。


次は学校でのお話です。
休み時間に廊下で友人達と立ち話をしています。
ついつい話に花が咲いています。
通路が狭くなっていた様で、通り辛くなっていた様です。
クラスメイトの男子が後ろから声をかけてきます。

「おいどけよ。ブス!」


振り向くと、ちょっとイケメンだな。と思っていた男の子でした。
私って、一般的に見てブスなんだろうか。
と言うか普段からブスって思ってるってこと!??
(今となっては道を塞いでた私が悪い部分もあったかなと言うのもありますよ)


明日学校行きたくない😭💦
と夜泣いたのを覚えています。

慣れてる学校で、かつ、ちょっと気になるクラスの人という、心の警戒心が低い場所で起きた出来事なので、心に響いてしまいました。


最後に。
子供の頃、ちょっと親にとって扱いづらい子供だった私。
ちょっと喧嘩したりした時に、母親からよく言われた一言。
「そんなブスみたいな顔してると、誰にも好かれないよ!!」

面と向かってダイレクトにブスと言われた訳では無かった事言葉。
ブスみたいな。という言葉は
実際本当に私の事をブスだと直接的に言われてる訳ではありません。

ですが4つの中でいちばん傷ついた言葉だったと思います。



結果として1番傷ついた、心に響いたと感じているのは
安心できる場所で、信頼している、傷つけるはずのないと思っている親から言われている言葉だからです。

傷つくというのも、個人的にはある意味負の感情に共鳴しているからだと思っています。
それは心を許しているから、心がより傷つくのです。

幼少期の出来事、親から受けた出来事がトラウマだったり、根深く居続けるのは、親に対してバリアを張っていない状態だから
と私は考えています。


深く深く幼少期や今までの人生で傷ついた事があるひとは、常にハートにバリアを貼ってる状態、もしくはガード自体が機能していない可能性もあるかもしれません。


そう言う方は共有できる人をいきなり探してもいいのですが、安心できる環境(1人になれる自室や、自然の中でも構いません)で
自分自身の心を自分で許してあげて下さいね。


それから、例えば自然
植物などの、あなたが見ていても害を与えてこないところから始めてみて下さい。
貴方がペットを飼っていらっしゃいましたら、ペットもいいですね。


まずは、あなたが心を許しても傷つかない様な
安心な場所、そしてもの(人や生き物)と感覚を共有してみて下さいね。

あとは
漫画やアニメ(のキャラ)、音楽。
それらもあなたの事を意図的に傷つけてくるものは少ないと思うので、先日の推し活の記事同様に
まずはそこからいろんな感情を味わってみると言うのもありでしょう。

あげていくと色々ありますが、あなたにとって、貴方を傷つけないものや場所でゆっくり育んでみて下さいね。


私や、誰かが言った
これは大丈夫!!安心だから!
この人がこう言ってるんだから、多分こうなんだろうな。でも、、、。

「あなたが、心から安心できない。」
その状態で見ていたり、何かにすすんでも、本当の意味で心に響く事は少なかったりします。

もちろん騙されたつもりで、進んでみるのも一つの方法ですね。その「試しにやってみよう。」
の中に少しでもワクワクやドキドキ。
そんな気持ちがあったらで、よかったりするのかもな。と私は最近は思ったりしています。

この記事を読んでいる時、なんだかしっくりこない。
引っかかるなー。

もしそう思って読んでいらっしゃる場合は、上記の通り、無理に心の中に入れてあげる必要はありませんよ。


ぼーっとしてる時に、何気に入ってきた言葉。
実はそっちの言葉の方が響く時もありますね。
心に余裕を持ってる時だからかもしれません。


心をゆるす。
心のバリアを少しだけとってもいいな。
私や貴方にとって、そんな瞬間が少しでも訪れます様に。

親しき中にも礼儀あり。そしてどこかで、自分以外に正常な免疫機能のように、バリアが貼れますように。
自分の1番の味方は、自分だと言う事を大事にしたいですね。

良くも悪くも、バリアがない状態だから、響くと言うお話でした。


実際その方に、傷つけるつもりがなく、なんとなく言ってしまった。と言うケースもあると思います。
こう言う事を言うと傷つくんだな。と知らないケースもありますから、それは嫌です。傷つきました。それを伝える事も立派なバリアですね。



自分が傷つかないことも、誰かを傷つけない事も
生きてる限りは不可能かな。と最近個人的には思うので、

心を許して共鳴するかは
自分に選択肢が常にある。

共鳴するこころ

その事を念頭において、うまく切り替えていきたいです。


と言いつつ、ここで書いた事は、できない私なのでした


余談ですが私は親も、自分も人を傷つける事がある。
と思ったら、ある意味楽になった気がします。
自分や親を美化、正当化しすぎてしまってた部分があった気がします。
「人間そんなもんだ。」と理想化し過ぎないことも自分や他人をゆるすと言うことかもしれません。
(これもある意味心をゆるすってことなのでしょうかね?自分で書いておいてわからん笑)


今日も長くなりましたが、最後までご覧頂き見ていただきありがとうございました。
いいねを押すと私の手作りルーンによる、一言ルーン占いができますよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?