子どもという"大自然"を受け止める

ここ3日間くらい、私は娘の"敷布団"と化して過ごしている。

授乳をやめてから、おっぱいという睡眠導入剤かつ精神安定剤を失った娘は、私の上にうつ伏せになって抱きついて眠るようになった。眠りにつくまでは、何度か回転して、落ちても這い上がってきて、私の首に足を絡めている時もある。10kgの激しいほかほか掛け布団。あったかいけど、重たい。でも、なんだかんだ、いとおしい。

寒さ残る桜満開の土曜、防寒してお花見に連れ出した結果、娘は翌日から発熱、気管支炎になりかけ、下痢気味、鼻水垂れ流しと、壮大に風邪を引いてしまった(ほんとごめん…)。

新年度がはじまって、新年号が決まったというのに、保育園には行けず、私の胸の上で咳き込みながら、火照った顔で、すーすー寝息を立てている。私は敷布団となって、鼻水と涎にまみれながら、娘の背中をさすり、時に揺れながら、このnoteを書いている。

思えば、ちょうど1年前、生後半年の娘を保育園に預けて、フリーランスで働き始めてから、子育てと仕事の狭間で揺れてばかりだった。

フリーランスは自由に時間が使えるようで、代わりもいないし、取材や締め切りは基本的にずらせない。子どもが風邪を引いて保育園に行けなくなる度に、焦って、詰んで。予定通りにいかないことに、イライラしたり、もどかしさを感じたり。無駄に周りと比べて、落ち込むことだってあった。

そんなに仕事がしたいなら、保育時間を伸ばして、病気の時もシッターに預ければいいじゃない、と思うかもしれないけれど、幼い我が子の成長も目撃したいし、病気で弱っているときはできるだけそばにいたい、と母として私が顔を出すからやっかいで。

ビジネスパーソンとして、母として、妻として、個人として、いろんな自分の感情がどすこいどすこいせめぎ合う。気持ちの整理がつかないまま、とにかく目の前のことに"追われて"いたように思う。

1年経ってようやく私は、あきらめること、いや、受け止めることを、少しずつ覚えている。

イヤイヤ期に突入しつつある娘がぐすり出せば、風邪を引けば、怪我をすれば、計画は予定通りにはいかず、日常は乱れる。つい先日も、綿棒を耳に入れて遊んでいた娘を止めようとしたら後ろに倒れて、鼓膜が破れて出血する事件が起きた。まさか綿棒で鼓膜が破れるなんて。乳幼児のぐずぐず、風邪、怪我の引き金は日常生活のあらゆるところに潜んでいる。

ある程度は予防できるものの、どれだけ注意していても、予期せぬ事態は起きる。親である私の意思や努力では、もうどうにもならないこともある。

娘はもはや"自然"だ。

娘の予兆なきぐずぐず、予期せぬ風邪や怪我は、自然現象に近い(と思うようになった)。娘や自分、他の誰かを責めても始まらないので、ある種の自然現象だと思って、事態を受け止める。「悪天候でお花見中止!ざんねん」「春の強風でダイヤが乱れて間に合わない」といった感じで。すると、潔いあきらめと同時に、じゃあどうしようか、と前向きな改善策も浮かんでくる。

たとえば、私は今、娘の敷布団になっていて、身動きが取れない。娘をリアルな布団に寝かせて仕事をしたいところだけれど、離れようとするとぐずぐず起き出してしまう。つい仕事が「できないこと」に思いを巡らせてしまうけれど、一旦事態を受け止めると、スマホでnoteを書こうと、この状況で「できること」に目が向く。娘の敷布団になって、ぎゅっと抱きしめることも今の私にとってたいせつな「できること」でもある。

仕事において子育てを言い訳にしないと気を張っていた時期もあったけれど、持続可能ではないことに気づき、最近は、仕事のパートナーに"弱さ"を共有することもある。フリーランスなのに、甘い!と思われるかもしれない(私もそう思う)けれど、無理をして、身体と心が維持できなくなると、相手にもっと迷惑をかけてしまうことにもなりかねない。

簡単なことではないようにも思うけれど、ひとりで抱え込まずに、できるだけ事前に自分の状況を共有し、相談することも大事だと今は思う。フリーランスだから、代わりがいない、助けを求められない、というのも、私の思い込みだった。昨年末、仕事と子育てに追われて、年始に仕事のパートナーに思い切って相談したら、子育て中という私の事情を受け止めて、頻度を減らしたり仲間を増やしたり、持続可能なかたちを提案してくれた。ありがたい。これからも少しずつ、個人事業主であっても、ひとりじゃない、と思える関係性、頼り合えるチームを築いていかなければ。持続可能な働き方を!

幼い我が子と過ごす日々は予定通りに行かないし、いつ何が起きるかわからないから、自分の都合で物事を進められない。そのことをちゃんと受け止めることができるようになって、焦りやイライラが減った気がする。慣れてきただけかもしれないけれど、確実に、娘という"大自然"が、私のなかに、ままならないことを受け止める寛容性を育んでくれている。

もちろん今でも焦ったり疲れたりジタバタすることもあるけれど、娘が「かあちゃあん」と抱きついてきたり、小さな両手で頬を押さえてチュッとしてくれたり、笑ってくれるだけで、疲れが吹っ飛ぶ。ご機嫌な娘は私の癒しスポット。旅先で、壮大な自然を前に、自分の悩みがちっぽけに思えるような感覚にも近い。ただただ癒される存在ではないけれど、娘という腕のなかにおさまる小さな”大自然”は、私に生きる活力をくれる。

ただそこにある豊かな大自然を、受け止め、抱きしめられるように、私はいつだって両手を広げていたい。

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徳 瑠里香

ライター・編集者。出版社で書籍・WEBメディアの企画・編集・執筆、著者の会社でブランドの編集(PRや店舗運営)などを経て、独立。ウルトラ忙しい夫と1歳の娘と3人家族。著書『それでも、母になる 生理がない私に子どもができて考えた家族のこと』(ポプラ社)

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