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東北・石巻に行ってきました。

週末は取材でお世話になった千葉の里親さんにお誘いいただき、娘さんや里子ちゃんたちも一緒に石巻へ。震災後、2年前くらいに気仙沼と陸前高田に訪れて以来の東北。せっかくなので旅の記録を。

仙台へ到着後、牡鹿半島にある集落蛤浜へ。津波の被害によってその集落に残ったのはたったの3世帯。その家で生まれ育ち、奥さまと生まれてくるはずだった赤ちゃんを震災で亡くされた亀山さんとその仲間たちが、築100年の古民家を改装して開いた「cafe はまぐり堂」。

美しい浜を見渡せる穏やかな場所でした。

カフェの隣の雑貨屋さんでお土産に石巻の土でできた三輪田窯のティーカップを購入。

ゆったりお茶をした後は、お昼ごはん。

女川・克丸鮮魚店にて、旬な鰹の刺身定食を!これで1000円は安い。小学校5年生の息子さんが本当によく働いていました。

夜ごはんは石巻商店街にある「いまむら」へ。さわらなど旬なお刺身とほやご飯が美味しかった。ここははまぐり堂の亀山さんの教え子(亀山さんは震災前は水産高校の教師であった)が働くお店ということで、夜遅くなると顔見知りの方々が集まってきてアットホームな雰囲気に。

震災後に地域の人たちが避難生活を送ったという「追分温泉」に日帰り入浴し、NPO法人りあすの森が管理運営する復興住宅に泊まらせていただきました。翌日は茅葺屋根を広げる熊谷産業の社長さんに朝からシャンパンとおしゃれな朝食をごちそうに!

お腹いっぱい朝食をいただいた後、南三陸へ。漁船に乗せてもらいました。オフシーズンは1人2500円でツアーをしてくれるそう。

船を止めてわかめの群れから現れたのは、海鞘!里子ちゃんたちもびっくりして立ち尽くしていました。

海のパイナップルと呼ばれるとりたての生海鞘は、フルーツみたいな食感で、磯の香りがするのに、食べた後に甘さが口に広がる。

この季節は牡蠣は生では食べられないということですが、身はぷりぷり。

なんと、一年に10日ほどしか漁ができないという、雲丹を生でいただいてしまいました。そして、銀鮭も。

こんなにも恵みをもたらす青い海が、あの日、多くの家や人を飲み込んで黒い海となったことが想像できない。沖で漁船を迎えてくれた奥さんのたみこさんは、4年経つ今も船には乗れないという。助けられなかった人たちのことを何度も思い出すし、海が怖い。それでも海で生きていこうと、海のそばの仮設住宅に住み、作業場を建てて、旦那さんは漁へ出て、たみこさんは海産物を加工して販売する。

移動中の車から眺める景色はほとんど更地で、人も少ない印象。4年経つ今でも、まだまだ仮設住宅に住む人たちも多いそう。仮設住宅は一家四畳二間ほどの広さで壁も薄い。制限がかかっているため新築は建てられないが、漁師の方々はそれでも、海のそばで住むために仮設住宅で暮らす。

76人中たったの4人しか児童が生き残らなかった大川小学校はまだ裁判が続くという。たみこさんの「私たちの復興はまだまだこれからなの」という言葉が印象に残っている。それでも、私たちを温かく迎えてくださった東北のみなさんに、また会いにいきたいと思います。


読んでくださりありがとうございます。とても嬉しいです。スキのお礼に出てくるのは、私の好きなおやつです。