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うれしいたのしい商店街で(生活のたのしみ展)

東京が梅雨入りしたことを忘れてしまうほどの快晴の空の下、娘(生後9ヶ月)を抱っこして、友だち親子(生後5ヶ月)を誘って、ほぼ日の「生活のたのしみ展」に行ってきた。

オープンと同時に訪れたその場所は、とても賑わっていて、活気にあふれていた。

立ち寄ったどのお店も、自分たちがつくり届けるものに気持ちのいい愛と自信と誇りを持ってて、それがちゃんと伝わってくる。お客さまに「売ろう」という感じじゃなくて、好きな人たちに「これ、本当にいいものだから使ってほしい」「すんごく美味しいから味わってほしい」と心からおすすめしているような、そんな感覚。

こちらもほぼ日を通して、背景の物語やつくる人たちの顔を知っているから、信頼感もあってなんだか距離が近い。馴染みの商店街で、いつも買うものや今日買うべき鮮度の高いものを見聞きしながら、買い物しているような気分。

その途中で、ばったり知り合いに会ってたわいもないおしゃべりをしたり。一通り買い物を終えた後は、ジェラートを頬張って涼んだり。

FLOTOのレモンココラベンダーのソルベ。レモンのさわやかな酸味と、ココナッツのコクと、ラベンダーの華やかな香りが全部詰まった贅沢な味。照りつける太陽の下、並んででもこの味にたどり着けてよかった。

その後、一緒に行った友だち親子と別れて岐路につく途中、恵比寿駅の改札で生活のたのしみ展帰りの別の友だち親子に会って、これから向かうという銀座・教文館でのおはなし会(絵本の読み聞かせ)に一緒に参加することに。そこで絵本を読んでくれたのはその友だちのお母さんで、お茶した後には、孫に会いに来たお父さんも合流。そんな家族の輪のなかに混ぜてもらって、なんだかうれしいたのしい気持ちに。

そうそう、昨日一日をひとことで表すなら「うれしいたのしい」。実際はそこまで近くはないけれど、近所にお買い物に出かけて、新鮮ないいものに出会えて、知り合いにもばったり会えて、ほくほくうれしいたのしい気持ちで心が満たされている感じ。

そして、その翌日の今日もそんなごきげんは続く。娘と一緒に夕方7時頃に寝て、夜中の3時頃に起きた私は、河野書店で手にした『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』を読み始めた。

糸井さんが隣でおしゃべりをしているような心地の良い文章のリズムで、すいすいと一気に読み進めた。直接自分との接点があるわけではないのに、不思議とこの本も距離が近い。糸井さんという”すごい人”の自伝のようなものだというのに、親しいおじさん(失礼)がちょっと自分のことについて話してくれたような。上から目線でなく、同じ目線で。

そんなおしゃべりのなかに、はっとする言葉がたくさん詰まっている。

手帳もハラマキも、根っこにある動機は「おれがほしい」ですから。それは最初に言った「おれが読みたい」と同じですよ。だから商品開発の経験はなかったけれど、消費者・ユーザーとしての自分を磨いておくかがり、「コンテンツなら、いくらでもある」はかわらないと思います。
 個々のコンテンツについて、ビジネスとしての勝算は、いまだにやってみるまでわかりません。でも、「おもしろいに決まっている」「よろこばれるにきまっている」までなら、わかるんです。お客さんとしての自分がおもしろがっているかぎりは。

たとえばこんな言葉には、生活のたのしみ展やこの本、ほぼ日のコンテンツが私たちユーザーと親しくて、生活に寄り添い、喜ばせてくれるものである理由のひとつが含まれていると思う。

糸井さんが、乗組員のみなさんが、古賀さんが、キューライスさんが、その場をつくる人、コンテンツをつくる人たちが、一番たのしんで喜んでるからこそ、その気持ちがその場に居合わせる人たち、読む人たちにも伝播するんだなあ。

まだまだ続きが読み(聞き)たくなるような気持ちもしたけれど、これからほぼ日が生み出すコンテンツに触れたり、その場所へ訪れたりすることで、その続きを知りたいと思う。

さて、今朝は斉吉商店で買った「金のさんま」と山形産の「秘伝豆」をおかずに炊きたてごはんをいただいた。

震災時に瓦礫のなかから命がけで持ち出したという長年継ぎ足しされた唯一無二の返しだれが染み込む、ほろほろの金のさんまは、色だけでなく、味もその名に相応しい一等賞。ごはんがススム。幸い土鍋で炊いたごはんは3合ある。おかわり!するしかない。

震災から数年後、気仙沼の斉吉商店の食堂を訪れた時、女将さんをはじめ最高のおもてなしをしてくださった斉吉商店のみなさんの笑顔と、はじめて金のさんまを頬張ったときの感動が蘇ってくる。

気仙沼で出会った人たちや昨日の出来事を思い出しながら、もぐもぐしていると、お腹と心がほかほかあたたまってくる。

昨晩から浸し、軽く塩ゆでした秘伝豆は、枝豆と大豆の間のような味わいで、その触感も楽しく、つまみ出すと手が止まらない。うらやましそうに隣で食べる私を凝視していた9ヶ月の娘にも柔らかく茹でてつぶしてあげたら、口に入れた瞬間にこにこ、「美味しい〜」(あるいは「もっとくれ〜」)と言わんばかりに両腕を振って喜んでいた。美味しいよね〜。

夫は出張中のため、一袋分の金のさんまをお茶碗2杯でひとり平らげて、朝からビールでも飲みたくなるような気持ちを抑えて、茹で上げた秘伝豆をぽつぽつつまみ、残りの秘伝豆をごはんに混ぜておにぎりをこしらえた。その途中、あまりにも美味しそうなので、ついついひとつ頬張る。結局私は朝から、ごはん3杯分も食べてしまった。それくらい、金のさんまにも秘伝豆にも炊きたてのごはんがよく似合う。

いつもよりひとり少ないちょっぴり寂しい食卓を金のさんまがにぎやかにしてくれた。金のさんまがいなければ、夫もいないし、私はごはんを土鍋で炊くことはなく、シリアルなんかで済まして味気ない食卓になっていただろう。

生活のたのしみ展のおかげで、夫が出張中でしばらく娘とのふたり生活の始まりがよりたのしいものとなった。

それにしても、この金のさんまやっぱり美味しすぎるから夫が帰ってきたら食べさせたい。ほかにほしいものも、食べたいものも、見たいものもあるし、明日にでももう一度、行こうかしらね。

#生活のたのしみ展






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