絵とアウトプットの悩み。
みずきのりんごです。
私はお絵描きが大好きで、毎日趣味でも出来る限り描くようにしています。
とあるゲームの二次創作をよくするのですが、その元となるゲームは、よくあるRPGなど同一のストーリーを体験して感じたそれぞれの感情を共有するものではなくて、プレイするその人ごとにデータや結果が違うため(再起動しただけでも変わるのでまさに一度きり)、データ状況など細かな部分を共有するにはアウトプットする必要があります。
私の場合はスクリーンショットやメモなども多いですが、やはり絵で表現することが多いです。
アウトプットをするということにおいて、ある時期、描かないと押し潰されてしまうというような、精神的に追い詰められてしまったことがありました。キャラクターの感情が溢れ出て吐き出さないと自分で抱えきれなくなってしまったのです。
(プレイ中は感情移入をしたり、そのキャラクターの目線になったりすることが多くなっていたので、逆輸入されていた感じです。)
そうやってアウトプット、という名のらくがきを、毎日毎日、鉛筆画からカラーイラストまで、多いときには日に何枚も、ひたすら描き続けました。
どうやったらうまく表現できるのだろうか、再現できるだろうか、(私の中で)生きているその姿を描きとめられるだろうか、ということを考え、追及してきました。
そのためには絵がうまくなる必要があったのですが、アウトプットという形で描き続けるうちに、段々とうまくなってきたように思います。
実際に4年前の私と今の私とを比べると、表現できるものが格段に増えたように感じています。
比べてみましょう。
こちらは2015年8月の絵。らくがきではありますけど、当時は結構精一杯に描いていました。
そして、こちらは同じモチーフでリメイクした、2019年4月のもの。
色の使い方や表現、絵のまとめ方、細部の処理の仕方などが、ずいぶんと上達したなと自分でも感じました。
そういう意味でも私はアウトプットという名の感情の吐き出しをし続けることで、成長したと思います。
また、アウトプットすることで多くの方にも見てもらえるようになりました(そしてそれがきっかけで、ゲームを始めましたと言ってもらえたことのなんという嬉しさか)
でも、そうしていくとですね、段々絵を描いてアウトプットしたいという状態からずれていくことがあります。
当初は、内なる感情を吐き出したいメモしたい記録したい残しておきたいというような気持ちでやっていたものが、気持ちが落ち着いてくると、段々と多くの人に見てもらいたい評価されたいとか、そっちの方向に向いてしまうんですよ。
色んな方に見てもらえるようになって、反応をもらっていくうちに、それまでは何も気にせずただ描くことに集中するという状態だったのが、アウトプットと見せかけて、人に気に入られるような絵を描こうとするようになってしまうんです。
アウトプット目的だったのに、なんだかそれっておかしくない!?
と思って原点に立ち返るということを、水面下でこれまで何度も繰り返してきました。
評価が気になるんなら数字も見なければいい反応もしなければいいということで、Twitterは絵を投稿するだけのアカウントを作ってわけたりしました。その成果は上々でした。
ですが、やはり評価や反応を気にしたりする瞬間はきます。もともとが承認欲求の塊なので仕方がないのですが、そういうときもあります。
ただ、アウトプットして記録するという当初のスタートは今でも根本的には忘れていなくて、出来る限り描くようにしてきました。
(らくがきちょうをまるっと写真にとってPixivにアップしたりしているのですが、そのらくがきちょうシリーズは今でもひっそりと続けています。)
そしてその承認欲求の地獄から片足でも脱するのですが、次にひっかかるのが技術です。
私は技術をみたり学んだりするのがとても好きです。
メイキングなどもよくみますし、新しいツールができたら試してみます。そうやって新しく得た技術を用いて、アウトプットすることも多くあり、それによって上達や表現の幅が広がってきました。
しかしですよ、その技術も最初は、どうやったら表現できるだろうかというところから、ただ使いたいだけのものになってしまったりとか、はたまた、先ほどの承認欲求と結びついて、もーえらこっちゃな状態にもなったりしてしまうんですね。
地獄から抜け出しても地獄。
そして最近ですが、企画で短期間に大量の絵を描く機会があって、そこで毎回試行錯誤を繰り返した結果、最終的に先ほどのような絵を描けるようになってきました。
しかし逆に描けるようになったけど当初の目的を忘れてるみたいな状態になっています。
今がちょうどそんな感じで、ある程度の技術も得たけど、はたしてそれは何のためのものだったのか?
そういう問いをすることが増えました。
もともと描きたい・吐き出したい・残したい・記録したいから描くのであり、それをどうしたら表現できるか、だったはずです。
技術を得てアウトプットするのは、どうやったらそれを頭の中と同じ、もしくは理想の姿として表現できるかを形にするためのものだったはずです。
はずなんですが、特に、疲れているときや精神的に余裕がないときなんかは、それを失念しがちになってしまいます。
そうじゃないだろ~!!お前の描きたいものはなんだったんだ!?
何のためにお前は絵がうまくなりたかったんだ~!?
最近そういう風に自問することが増えました。
おそらく自分のなかで、一気に技術力や表現力が向上したことによって整理がついていないところもあると思いますし、いろんな方面での疲労も重なってしまっているところもあるのだと思います。
得た知識や技術を定着させるために、そういった目的も兼ねて何枚も描いてしまったことも原因かもしれません。
ですので、またもう一度原点に立ち返ってみる必要があるかもなあと感じました。
でもねでもね、そういう風に書いてはみたんですけど、承認欲求も技術取得による実験とかはあってもいいと思うんですよ。しかしそれが目的になってしまっては、自分がつらいんじゃないかなって思ったんですよ…。だからもうちょっと気楽にアウトプットしながら楽しく描けるようになりたいなあって改めて思ったんですよね。
そうなんです。改めて思いました。
そんなことをつらつらと、文章にして書いてみれば、少しはまとまるのかなと思ったのですが、いまいちまとまりませんでした。でも、少しだけ整理ができたような気がするので、ひとまず、また記録したい、というところまで戻ってみようかと思います。
ひとまず今日は好きなように楽しんで描こう!!そうしよう!!
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