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ひとにふれるとき。

2017年、わたしは絶望していた。働いていたBarの店長がまだ20歳にもならない女の子に手を出し、それをきっかけにわたしと多くの女の子がそのBarをやめた。その後新宿ゴールデン街で働くも夕方17〜0時まで立ちっぱなし、給料の説明もなし 2日でやめた。いつも怒鳴りっぱなしのオーナーのママに耐えきれず怖くて「給料はいらないのでやめさせてください」とメールした。当然給料は払われなかった。ゴールデン街で長く働く知り合いは「この街ではそういう事はしょっちゅうある。」とわたしに話した。

自分より長く生きる人間たちが賢く汚く生きている、その事実を目の前にわたしは生きることや社会にこれ以上適応できないと思った。

前置きはこれくらいにしよう。
わたしはひっそりと死ぬ事を考えた。ただ、1人で死ぬのは怖かった。ネットで人を募ろうと考えた。レイプされるかもしれない、だがそんな事はどうでも良かった。twitterで「自殺 募集」を検索すると山のように「一緒に死にませんか?」というツイートが出てきた。その多くがなぜか関西の人だった。いろんな人と連絡を取った。
生活をしながらひっそりと死ぬ事だけを考えていた。 急にいなくなり、ひっそりと、誰かと死ぬ。それだけを希望に。
「死ぬなら練炭自殺がいいよね。車は持っている? 首吊りはどうかな? 」みんな死ぬ成功率をあげたがった。ただ死んだあと死体がどうなるかとか考えるのは下らないと思った。死んで残るのはただの肉だ。そんなのにこだわるのは下らない。
何通かやりとりしてる中で連絡が途絶えてしまった人が何人かいる。
「死ぬ」という事を考えるとき、そのワードを耳にしたとき 私は彼ら彼女らのことを思う。あの人たちはどうしているだろうか。

わたしは、なんとかその時は死ぬことをやめ、なんとなく生き続けた。そしてその後すぐに座間市の事件が発覚した。私はもしかしたら彼に誘われ、殺されていたかもしれない。彼が「一緒に死のう」とほのめかし家に誘うターゲットを探していたと時期はわたしが丁度死のうと、とにかく同志を探していた時期と同じ時だったのだ。
だからなんだという訳ではないけど、知った時はびっくりした。

私は弱い、今もだらだらと生きている。生きている 大半は眠剤を飲み寝て1日が終わる。
ただ、「死」の匂いを感じる時 私はいろんな人の事を思い出し どこかで元気にしているだろうかと考える。みんな なにをしているだろうか。

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