イヤフォンをほどくとき

『無』
私はそれについて考える。

小さいころ、「何も考えずに空を見て〜」という言葉などを聞くと、(えっそれって無理じゃない!?)と思っていた。
何も考えずにボーッとしているとき、
(私はいま何も考えてナイナァ)と考えている。

ほんとうに面倒くさいことを言っている事は承知なので、先に謝っておきます。
すみません。笑

"無知の知"的な。存在しないということが存在しているというか。
無という状態が有るわけだから、
何も考えずにってめっちゃむずいやん、皆どうやってやってるの?
と、悩んだことがあった。(暇か)

しかし私は見つけてしまった。
限りなく無に近い状況を。

それはイヤフォンをほどくときである。

私だけかもしれないので恐る恐る口にするが、
イヤフォンをほどくとき、それは限りなく無に近い状態ではないか?

ここの穴から引っ張って、くぐらせて、などはまるで考えず、私はほとんど惰性で指を動かしている。
そして気付いたら絡まったイヤフォンの出口が見えてきて、ここをこうすればほどけそう。という域に達す。ここまできて初めて、意識を取り戻す。

そんなこと言ったら、惰性で何かをしてるときそれは「無」の状態ではないか!という声が聞こえてきそうなので補足しておくと、

これから何かをすると決めている場合、
例えば「これから何も考えずに、空をみよう」
「これから何も考えずに、イヤフォンをほどこう」としたときに、前者よりも後者の方が圧倒的にやりやすい気がする。

私にとって空を見るときは、何も考えずに見ようとしているというよりは、"空を見ていた結果、何も考えずに心地よい時間を過ごせた"であり、

イヤフォンをほどくときは
イヤフォンをほどこう!からほどけたぞ!までに空白の時間が存在し、むしろイヤフォンをほどくために何も考えないように自ら無に向かっている。

平井堅さんの歌の中に「惰性で見てたテレビ消すみたいに」という歌詞があるが、

こちらも空の例と同じように、最初はテレビを見るという目的をもって電源を入れたにも関わらず、結果的に惰性(無の状態)になってしまい、その理由として、悩みや葛藤、邪念が存在する。つまりテレビに集中できない精神状態である、という理由が存在するのだ。やはりこちらも無の状態とは言い難い。


ううんー、うまく言えんな、分かりにくいな。

伝えたいメッセージは何かというと、

何か行動を起こす時の手段として、「無」を利用しているのはイヤフォンをほどくときなんじゃナイ?それ以外(空やテレビの例)は結果的に無になっちゃってるから「よぉし、無になるぞ!」と思ってなれるもんじゃないよねぃ、
ということだ。どない?

伝わってえ〜

いやいやばか!こうだろ!
うーん、確かにそうかも!

待ってます。今日はかなり主観的な話でした。

異論は認めます。


#本の中と外のはなし
#イヤフォン
#まじで暇か
#いつもこんなことばっかり考えてる
#意味はない
#大事な事はそっちのけ
#でも楽しいよね

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いろんな考え方を覗けて楽しいので
これからもよろしくです☺︎

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