獣になれない

チャイムと同時に着席し、急いでいても赤信号は足を止める。多少体調が悪くってもその日のタスクを済ませてお風呂に入り、人には最低限の敬意を持って接する。自分の機嫌はなるべく自分で取る。

たまに思うのだが、
ここで今自分が思いっきり叫んで机の上をぐちゃぐちゃにし、唖然とする学生と教授に向かって「なに見てんだよォ!!!」と叫んだら、どうなるんだろう。

大学2年生の前期に、回毎に課題が多く拘束時間も4時間半と割と長めの授業をとっていた。
この講義はうちの学部では必修のもので、効率よくタスクをこなさないと割としんどいよ。と先輩からも話を聞いていた。

授業開始3時間をすぎた、教室の皆に疲労が溜まってきて、集中力も切れてくる頃
ある子が言った。

「ねぇ、」
「ん?」
「こんだけ人がおってさ、誰も帰ったり叫んだりせんの、すごくない?」
「あー、そういえば、たしかに」


私たちには理性がある。
この鎧を着ているうちは、たとえ苦しくても、本能のままに叫んだり泣いたり駄々をこねたり出来ないのだ。

彼女にとっては恐らく、すごくさりげなく言った一言だったが、私は今でもほんのりと、このやりとりを思い出す。

獣になれない私たち
というドラマがある。ECサイトの管理会社に勤めるアキラという女性は、才色兼備で誰に対しても明るく、優しくて責任感が強い。

しかしその反面、断れない性格ゆえに会社では担当以上の業務を押し付けられ、交際相手には別れを切り出せない。
劇中、「馬鹿になれたら楽なのにね」というセリフが出てくる。

個人は社会によって生かされているし、社会はたくさんの個人(とくに理性を持った個人)によって機能している。
馬鹿になれたら楽だけど、それでも獣になれずに今日も理性という鎧を着て戦っている。

だけど時々、本能のままに生きている人を見かける。彼らはいとも簡単に鎧を脱ぐ。

これを口にすると、嫌な感じになってしまうのであんまり言えないが(けど言っちゃう)
私はそういう人を見るたびイイなぁと思ってしまう。笑 

嫌味でも嘘でもなく、
イイなぁである。
あと、ちょっとの羨ましさ。

嫌なことは嫌だ!好きなことは好きだ!
すごくシンプルなことなのに
これを口に出すことは、すっごく難しい。

授業中抜け出して帰ることはできないし、
大声でも叫べない。
丸坊主にする勇気もないし、
好きなことだけでは生きていけない。

多くの人が獣にならずに生きているから
時々獣になれる人がいて、
今日も社会は回っているのかもしれない。

#本の中と外のはなし
#獣になれない私たち




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