不登校克服10日目 「不安から確信」

不登校克服10日目 「不安から確信」

不安から、確信に変わった日があった。

学校に毎日通ってから10日目で、不登校を克服しつつある。しかし先週、学校を休みたくなってしまった。

約一年半間、私は不登校だった。五年生の夏休み明けにバランスを崩し、不登校になったのだ。

学校では先生が合わず、クラスメイトとも、保健室とも合わない。なんといっても生徒、つまり子供の人権が軽視や時には無視されているのだ。

例えば給食の時間は私語がなぜか禁止されている。喋ってはいけないのだ。どこかのホラー映画の世界観にでも憧れていたのだろうか。
そんな学校にはもう可能性も見出せず、今まで書いていなかったがいじめもあった。こんな状態の動物園には行くメリットがない。

この思いがあり、私は何か行動をしたかった。
そして受験をしたのだ。

緊張しながら合格通知を見てみると、合格。
2年ぶりに嬉しかった。

その学校は人権ももちろん守られており、先進的で合理的な学校だ。 初めて人間扱いを学校というコミュニティで受けたのだ。感動で涙が頬を静かにつたった。一年半の苦しみが涙とともに流れ落ちる。

だからこそ、何故行きたくないかを考えても考えても分からなかった。何故なら今の学校は私の求めるすべてのものがあるのだ。こんな珍しい学校は他に見つからないだろう。

なんていったって学校のトイレが私の一番好きな映画「シャイニング」の真紅のトイレとそっくりのだ。どうでもないことかもしれないが、芸術的でセンスがよい。こういうところに価値観が現れる。

そんな学校なのに行きたくないと思ってしまった。そしてよく母と自分自身と話し合う。理由は実に簡単で明白であった。肉体的な疲れである。まあ一年半も行っていなかった上に私は精神的な疲れの方が慣れていた。

さらに学校へ行く為、電車に揺られる。行くとはなったが、やはり遅刻する気恥ずかしさから緊急し、なんと着くはずの駅を乗り過ごし、5駅も飛ばされてしまっていた。
すかさずまた電車に乗ったがまた間違えてしまう。最終的には目的の駅に着くことができた。

だが今までの自分なら、乗り過ごしたことを言い訳に学校は休んでいただろう。断言は不可能だが、学校に行けるかが不安から、確信に変わった。

ふと思うのだが、私は壁にぶち当たる早さが尋常じゃない。

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