おのまさしあたあ ワンマンロードショー第5回「蒲田行進曲」を観てきた!!

2023/9/1ソワレ。金曜からはじまって、なんと明日が千穐楽とのこと。
短い。短すぎる。
だけれども、おのさん一人であの映画のほぼ全員を演じるのだから、たとえば一週間ぐらいやったら、階段落ちならぬ脱水症状で死んでしまうかもしれない。名優おのさんに死なれたらとても嫌なので、このぐらいの上演回数でいいのだと思う。

いつものおのさん節のおもしろさバクハツで本当に面白い芝居だった。1時間40分とのことだが、もっと短く感じた。

そして何より良かったと感じたのは、あの暑苦しい(←誉め言葉)人間達の悲喜こもごもを、一人で演じることによって、とても客観的で公平な視線で見れたことだ。

おのさんはとにかくすごい俳優だから、登場人物の演じ分けも完璧。だからこそなおさら、銀ちゃんの身勝手さ、ヤスの優しさと気の弱さ、小夏の揺れる想い、そして映画スタッフや大部屋俳優達の思惑とか、そういうものがきちんと独立し同じところに向かって収斂していく過程がとてもよく見えた、気がするのだ。

そして、今までの「蒲田行進曲」を見てきて、本当はうっすら感じていたのだけれども、見ない振りをしていたことにも気がついた。

銀ちゃんと作者のつかこうへいはサイコパスだ。
この作品では銀ちゃんの視点からは驚くほど描かれていないので、彼は彼の取り巻き達や撮影関係者たちをひっかきまわすトリックスターのように描かれている。ように思える。
彼はどうしてあんなふうに小夏を簡単に捨てるのか。ヤスに嫌な役をおしつけるのか。押し付けられるのか。芝居に魂を持って行かれて、良心をどこかに置いてきてしまったに違いない。というふうに私は見た。

ヤスが階段落ちをすることになった動機も銀ちゃんだし、それにやっと気がついた銀ちゃんは、今度はヤスの目がみられなくなる。豪放磊落に見えて、気の小さな男なのだ。

まるで死刑の決まった囚人のように、「階段落ち」に挑むヤスは、人をたくさん呼んでどんちゃん騒ぎをしようとしたかと思うと、些細なことで家具を壊し、小夏を殴る。(このシーンは映画でも、とても強烈な印象をもって記憶している。あんなに小夏には遠慮深くて大人しい羊みたいだったヤスが、あんなに荒れ狂うなんて、結婚て怖いんだなぁと思ったし、また、こんな時代でもあった。

ヤスは、銀ちゃんの忠実なしもべで、銀ちゃんの一番のファンだけれども、最後の階段落ちで銀ちゃんから「独立」する。その心持ちにいくまでの過程が、今回の舞台ではとても丁寧に描かれており、私はやっぱりヤスのほうに目がいってしまう。
階段落ちのラストシーンは、映画だと、撮っている監督が必死に這い上がるヤスを長回しで撮り続けるところが白眉だけれども、このシーンでヤスが銀ちゃんを凌ぐ名バイプレーヤーになっていくという記述や後日談はない。

だけれども、映画の風間杜夫と平田満の姿を見ると、甘いマスクで甘えん坊そうな銀ちゃんに、やっぱり肩入れしてしまいそうになる自分が居て怖い。
つかこうへいは、そのへんもすべて見抜いて、あの配役にしたんだろうなあ。
すべて彼の手の上で転がされているような気がして、若干悔しい感じだ。

というわけで、つかこうへいの原作小説を買って読むことにした。
書籍なら、もっと情報量があるだろう。手に取るのが楽しみだ。

おのさん、お疲れ様です。今回も大満足のワンマンロードショーでした。


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