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それは動いてないからだよ

東京で働いていたとき、エキセントリックな同僚がいた。

若くして管理職について、頭の回転がすごく早くて、決断力がずば抜けていて。

ひょんなことからサシで飲みにいくことになり、わたしが「最近生きてるっていう感じがしないんです」とふいに漏らした時に返ってきたセリフ、それが

「それは動いてないからだよ」

いつのも勢いでズバッと鮮やかに切り込まれて、「そ、そうですよね…」と、自分から悩みを持ちかけておいたにも関わらず、少したじろいだ。

いつもモーターフル回転のその人の姿を見ていたから、その言葉は説得力があったのだけど、どこか自分ごとにはすぐには移しかえられなくて、しばらく考え込んだ。

「動いていない」って何に対して?

仕事?自分の好きなこと?自分の成し遂げたいこと?

その頃のわたしは仕事においては閉塞感の塊で、淀んでいるけど水の流れは少しある、みたいな水路の中で流れに身を任せているような状態だった。

視界がはっきりしないまま、キレのある動きも取れなくて、心からこれがやりたい、という仕事の内容も作り出せなくて。

だから仕事に対して「動いていない」と言われても仕方のない状態ではあったけど、それに対して悔しく思って、よしやってやる!というモチベーションも残念ながら湧いてこなかった。

でもそれってなんだか理想の姿じゃない気がして。

自分で選んでここにいるはずなのに、それに対して無気力を感じながら生きていくのは本望じゃない。

ワクワクしたくて、ここを選んだはずでしょう?

そう問いかけるわたしの中のわたしが、しばらくの間張り付いて離れなかった。

だから会社を辞めてこの生活を断ち切ろう、と決めた時、すごく清々しくて、もう一度、人生が、生活が、動き始めた気がした。

自分が動けば当たり前だけれど自分の人生も動く。いつだっていい方に行くとは限らないけど、動かなければどこにも行けない。

これは、今この瞬間のわたしにも言い聞かせたいこと。

自分の内側だけで考えて、その閉塞感に打ちひしがれているだけでは何も変わらない。

動き始めたときの世界のきらめきを知っているんだから、もう一度、勇気を出して、あの一歩を。


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