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東京には全てがある

「東京には全てがある」

東京での生活はどうだったか聞かれると、ついそう答えてしまう。

そんなことは決してないのだけれど、これは東京という特殊な場所への賞賛であり、そこから派生するちょっと息苦しい部分への皮肉でもある。

全てがあるなんて大袈裟だけど、モノ、機会、人、田舎から出てきた私にはそう言ってしまうくらい豊富で、密度が高かった。

東京に出て来てすぐ、訪ねて来た地元の友達が言った。
「雑誌で見る洋服も、靴も、カバンも、全部東京なら手に入るね。」
本当に全部が全部手に入るのか確証はないが、だいたい当たっていると思うし、そんな証拠がなくても街を歩けば納得してしまう。

何か始めたい、と思った時も、だいたい東京にはチャンスが転がっている。習い事もだし、コミュニティもだし、仕事の求人の数だって圧倒的だ。地元だったらやりたくても機会や場所がなくて実現できないことが、ここではできる。

人だって、多様。大学への進学で世界が広がった気がしていたけど、就職で東京に出てきて、まだまだ会ったことの無い種類の人がたくさんいることに気付いた。

東京という場所は解像度が高い。その1㎡、1㎡ごとの価値がはっきりしている。モノ、機会、人がその1㎡に意味づけをして、東京という土地にぎゅっと詰め込まれている。
地方のようにだだっ広い、何にも使われていない土地は、都心からどれくらいまで行けば見つかるのだろうか。

そう、だんだんこの密度に自分が押し潰されて、解像度が低い場所が恋しくなる。価値や意味や目的で彩られていない場所が。

「東京には全てがある。でも私には色々ありすぎたかな」

その豊かな感じが時々恋しくもなるけれど、今はそこにはなかった、違う何かを手に入れた幸せを嚙みしめよう。

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