まず自らが他者を闇の中に包み込み、その上で他者を「罪ある者」と認識する過程がある。

誰かを有罪と見なすとき、その有罪と見なした者は、自分の中の「罪の証人」となり、そうして自分の中に罪を見ることになる。
世界に罪ある者を認識した瞬間に、自分の中に同じ罪があることを示してしまうのである。誰かを攻撃したい/罰したいと思う時、自分自身についての「罪悪」の確信がある。まず最初に自らに「罪がある」と思ってるからこそ、他者に罪を見出すし、その罪に耐えられないので排除したくなるのである。

自分を咎めた心の中には、罪悪感が常にある。

罪悪感は盲目にする。
聖霊の光を見えなくする。
そして罪を投影することで、世界は罪に覆われた薄暗い場所となる。そう見える。

自我は、自らの内側を見ないようにさせ、他者の中にその罪悪を見るよう仕向ける。こうすれば光は見ることはなく私たちは盲目となる。
自分で他者を闇の中に包み込んだゆえに、彼らを有罪/間違ったものと見ている。こう見るのは、自らの内なる光を(正視できないほどに)恐れているからである。

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