見出し画像

バイオレンス

※グロテスクな表現が含まれます





蝉がうるさく鳴いている。
ぽたり、と汗が地面に落ちた。
透子は公園の隅っこでボールを持って立ち尽くしていた。リナちゃんが蹴って飛んでいってしまったボールを取りに行った帰りだった。
塩化ビニルの安っぽいピンクのボールをぎゅっと両手で持って、瞬きを忘れてソレに近づく。
公園の花壇の近く。彼女はしゃがみ込んで
死にかけた蝶が、アリに襲われていた。微かに羽を震わせ、もがく様に体を動かしていた。
うじゃうじゃと群がるアリから逃れようとしている。必死に。

しかし、アリの数は段々と増え、容赦無く蝶を覆ってていく。蝶の体は食べられていく。
いくら体の大きさが違えど、他勢に無勢。蝶の抵抗はみるみる弱々しくなっていった。死にかけた昆虫でさえもアリの餌になることを、透子はこの時初めて知った。
小さく鳥肌が立つ。もう少し近くで見てみたい。
小さな彼女の影が、蝶とアリを覆う。
なす術もないようで蝶は動くことすらやめていた。

「ねえ!!」
「え」

突然遠くから呼びかけられて我に帰る。
そうだ、ボール遊びのことをすっかり忘れていた。

「なにしてるのー!ボール見つからなかった?」
「見つけた!ごめん、今行くね!」

透子は急いで立ち上がった。ソレを一瞥する。
一瞬の迷いもなく彼女は、蝶をアリごと踏み潰した。
グリグリと地面に擦り付けるように。水色の小さなスニーカーで。
そして、淡々と汚れを落とすように、靴底を地面に擦りつけた。

原型を留めていない彼らのことなど、見向きもせず彼女は走り去った。
バラバラになった触覚と、脚と、粉々になった羽と、潰れたアリがごちゃ混ぜに埋もれていた。その周りには新しいアリが集っていた。
蝉がうるさく鳴いている。

「じゃあ。透子はサディストなの?」
「そう、いうことも…ないと思うけど」
「でもその話を聞く限りそうにしか聞こえないけど」
「あ。ま、確かに」

透子は視線を下にやった。初めてこの話をした。他の記憶は古ぼけていても、これだけは鮮明に思い返せる。
性癖というほどではないけれど。いや、立派な性癖か。だけどサディストと言われるとわからない。
SMもののアダルトビデオの類は見ない。興味もない。誰かを虐めた経験もない。
彼女はチラリと玲奈を見た。何やらスマホを操作している。引いた様子はないけれど、言ってよかったのかなという不安が襲う。透子は頬を薄ピンクに染めて、気恥ずかしさからグラスの水滴を親指で拭った。
居酒屋の騒がしさが、二人の間の沈黙を強調するようで気まずい。玲奈は携帯をしまって小さく溜息をついて透子の方を見た。
どきりとするような大きな猫目。派手な金髪がオレンジ色の照明に照らされ、境界線が曖昧になっている。ピンク色のリップが緩く弧を描いた。

「透子はさあ」
「う、うん」
「その話誰かにしたことはある?する予定は?」
「ないよ…!言えるわけないじゃん。玲奈なら引かないと思って言ったけど、それですら後悔してるくらいだし」
「引いてないよ。ところで、透子明日予定ある?」
「良かった…ええと。 明日は授業もないし、休み」

すると玲奈は悪戯っぽく笑った。八重歯が見えた。本当に猫みたいだ。

「じゃあさ。今空いてる?」
「何。そのナンパの口説き文句みたいなセリフ」
「じゃあお金に困ってない?性癖とお金両方手に入る素敵なプランがあるんだけど」
「ねえ、やめてよ。そんなマルチとかキャッチみたいなこと。わ、ちょ、くっつかないで!」

玲奈はわざと「えー、楽に稼げるんだけどな。ラインやってる?1000円あげるから交換しよ」と詰め寄って笑った。「やらないってぇ」とサラサラの黒髪を耳にかけて静かに透子は笑った。よかった本当に玲奈は引いてないみたいだ。いつも通り。玲奈はふふと笑った後、急に真剣な顔で透子の顔を覗き込んだ。巨大な瞳に視線を捉えられれば逃げられない。それをこの娘は知っている。

「さっきのは悪ふざけだけど。でも、今から行きたい場所があるってのはホント」
「こんな夜に?」
「夜から営業してるの」
「危ない場所?」
「かもね。でも楽しい場所」

玲奈はどうするの?という顔で緩くなったレモンサワーをあおった。

「知り合いの店なんだけど。透子は気にいるんじゃないかな」
「それは、さっき話した…私のその、夏の話と関係ある話?」

玲奈は返事をする代わりに、透子の手を取った。

酒で熱った体にあたる夜風ですら、好奇心を冷ますことはできなかった。
もう冬なのに、蝉の鳴き声が聞こえた気がした。そんなことないのに。

「ねえ。ここ、本当に大丈夫なの?」
人はまばらになっていく。夜は段々黒を孕んでいく。ネオンは消え去り、湿気の多い不快な空気が肌にまとわりつく。
自分よりも小さな玲奈の背中を盾にするようにして透子キョロキョロと辺りを見回した。シャッターが閉まった店ばかりだ。玲奈は構わず進んでいく。
本当に騙されてしまったのだろうかと急に不安になった。

「ん!」

急に玲奈が足を止めるものだから透子は転びそうになった。目の前には廃墟のようなビルがあった。

「ここ」
「ここ、って。お、お店なんてあるの?」
「うん。地下だけどね」

玲奈は眠そうな声で返した。玲奈は廃墟に迷わず進んでいく。「危ないよ」や「やっぱ帰りたい」なんて言葉は出てこなかった。本当は不安でたまらないのに、でもここから一人で帰る方が嫌だった。
玲奈のカーディガンの裾を掴んで透子も廃ビルのなかに入った。暗いが足元に薄ぼんやりとした緑色の光が点々と灯っている。

「ねえ。透子」
「うん」
「このお店のこと、秘密にしてね」
「う、うん」
「ありがとぉ」

玲奈は振り返ってニコリと笑った。殺人鬼が人を殺した後みたいな、晴れ晴れとした笑顔だった。
でもどこかマリア様にも似ているような気がした。遠い昔に祖母に連れて行かれた教会に飾ってあった絵画を今更思い出した。
長い廊下の先には重厚な金属製の扉があった。近くにはセキュリティのような男が二人たっていた。厳しい顔をしていて、首にはタトゥーと大きな傷跡がついていた。
玲奈は慣れた様子でスマホの画面を彼らに見せると、扉が開かれた。中を恐る恐る覗くと下に続く階段が見えた。
埃とアルコールが混ざったみたいな匂いがした。古い病院のような匂い。

「ここ、なに?」
「ん。秘密のお店」
「ら、拉致とかされないよね」
「されないされない」

階段の向こうにはまた廊下があった。薄暗くてコンクリートが剥き出しになった壁は無機質な印象を受けた。まるでホテルのように廊下の両側には扉があって、深紅の扉の上にはナンバーカードがあった。廊下の奥は見えない。恐ろしいくらい静かだった。足跡と、安っぽい換気扇の音以外聞こえない。ドアの中からは音が聞こえない。二の腕を指すって所在なさげにとぼとぼと玲奈の後をついていくことしかできなかった。

「この部屋たちって」
「ああ。この店のシステムがね、部屋の貸し出しみたいな。今日取った部屋がここ」

玲奈がスマホを近くのスキャナーにかざすとロックが外れた音がした。中は外からの見た目とは不釣り合いなほど瀟洒な内装の小部屋になっていた。フカフカのカーペットに靴が沈む。
ソファと小さなテーブルがあるのだが、なぜか壁の一面だけがカーテンで覆われていた。地下だから窓はないはずなのに。相も変わらず薄暗く、小さなランプが部屋を照らしていた。

「なんか飲む?」
「ううん、いい…」
「座りなよ。もう少しで始まるから」
「何が、始まるの」
「まあまあ」

玲奈はワイングラスに赤ワインを注いでカーテンを開けた。
カーテンの奥はガラスになっていて隣の部屋が丸見えになっていた。こちらの部屋とは対照的にコンクリート剥き出しで監禁部屋みたいな部屋だった。不気味な部屋だ。
部屋の真ん中には男が目隠しをされた状態で手足を縛られ放置されていた。男は何も身につけていない。背中一面には刺青が入っていた。気をつけの姿勢で手と足を縛られていて、麻縄が皮膚にギリギリと食い込むのか時折痛そうに体を小さく捩らせていた。

「これ、マジックミラーなの。あっちからは見えない」
「あの人は?誰」
「人間…うーん。人権が適応されないヒト?戸籍がないヒト?なんかそんな感じ。借金で首が回らなくなったヒトとか、組でやらかしたヤクザだったヒトとか、海外から売られたヒトとか。そんな感じらしいよ。まあつまりさ。社会から見放されたヒト」

透子は絶句してただ唖然と男を見ていた。彼は、その’’ヤクザだったヒト’’なのだろうか。 
途端に背中の昇り鯉が皮肉げに見えた。

「払う金額によってグレードが変わるんだけど、今日は一番スタンダードなのにしておいたよ」
「な、何が起きるの?」

玲奈は肩をすくめて、顎で向こうをさした。
向こうの部屋に女が入ってきた。仮面をつけているから顔はよく見えない。彼女はこちら側に一礼した。反射で礼を返すと玲奈が「どうせ見えないよ」と笑った。しかしこの異様な空気ではそんな細かいことに気づく余裕すらなかった。女が歩き出す。高く結ったポニーテールが歩くたび揺れていた。
透子は瞬きするのも忘れて女の一挙手一動を眺めていた。男の緊張が滲む息遣いがやけに生々しく聞こえてきたような気がした。
女はツカツカと男の前まで来て、突然男の顎を蹴り上げた。

「アガっ」

蹴りあがった頭が凄い音を立ててコンクリートの床に落ちてきた。軽い脳震盪を起こしているのか男は舌をだらしなく出して揺れていた。口の端から血が一条流れている。舌を噛んだのだろう。

「あっ、うが、ううう、あっ。あああああああ!!!!っが、あっ。いづ、いづい、血が!血、ちが、」

一拍遅れてやってきた痛みが男を襲う。男は芋虫みたいに体を折り曲げたり伸ばして暴れていた。手足が縛られていて満足に動けないのだ。可哀想に。そんな他人事のような感想が出てきた。玲奈は気怠そうに煙草に火をつけた。

向こうにいる女は男を足で転がして仰向けにした。そしてそのまま腹を思いっきり踏んだ。男が声にならない叫び声をあげる。口の中の血が喉に流れ込んで咽せていた。女はぐりぐりと腹を押す。真っ赤っかに腹が腫れていた。きっとすぐにどす黒い色に変色していくのだろう。

「お、おっ、な、なんなんらよ、だ、誰だよ、ひ、俺、おえはやってね、って!むらか、むらかみに聞けば金の、金の場所も、わか、わかっからよ。なあ、誰のまわしもんだ、ほん、ほんだだろ、あいつが!あいつ、がはめやがったんだよぉ、な、なあ」

コンクリートに反響する悲痛な叫びにドクンと心臓が跳ねた。身体中の血が、湧き立つようだ。

「なあ、な。むら、むらかみが、むらかみにききゃ…んぐ!!」

女は男の口の中に手を突っ込んで、歯に手をかけて強引に縦に開いた。女の指が血に染まる。女がグッと手を奥まで突っ込むと男は苦しそうにもがきだした。手を縛られているためどうすることもできない。むしろ暴れるほど縄が食い込んで痛みが増す。

「う、お”えっ。え”っ”。ゆる、ゆり、じで、ゆるじでぐだざ」

血に染まった吐瀉物が床に広がった。胃酸の匂いが香ってきそうなくらいに生々しく、思わず顔を歪ませる。
男は命乞いをするが、もちろん拷問が止まることはない。
ここは男の都合で残虐な行為が行われているわけではない。ただのビジネスなのだ。許すも許されるもないのに。
馬鹿だなあ、と透子は無意識にそう思った。想像していたよりずっと冷めた言葉が頭に浮かんで驚く。でも同時にこの哀れな男が可哀想で、でももう少し甚振って欲しくなった。愛おしいくらいに虐めて、全てに後悔させて、それで、全部壊してしまいたいと思った。

吐くことでエネルギーを使ってしまったのか男は大人しくなった。口の周りは唾液と血とゲロでくちゃくちゃになっている。肺を大きく動かして呼吸をしていた。
女はゴム手袋を装着してまた男の口を開いた。片手にはペンチが握られていた。

「あ、ぐ」

女はペンチを口に突っ込んで引き抜いた。真っ赤っかな粘液の高い血の塊がべちゃりと床に落ちた。よく見れば血の中に白い破片が転がっていた。折れた歯だ。歯茎の肉がついていた。男はアタ狂ったように叫び始めた。プチっ、プチっと刻み良く歯が抜かれてはコロン、と床に転がる。べちゃり、べちゃり、時折カロン、と音が鳴る。口の周りは赤に染まる。女の服も血で染まっていた。十本を超えたあたりで女は煩わしそうに立ち上がった。男の意識は飛びかけていた。白目を向いている。ピンク色の泡を吹いていた。女は歯茎のついた歯たちを蹴り飛ばして退かした。
そして壁に立てかけてあったゴルフクラブを手に取った。
ゴルフクラブを振り上げ、男の腹に落とす。ゴギ、と嫌な音がなった。男は意識を取り戻し、地獄のような呻き声を上げた。確実に肋が折れただろう。素人目にもわかる。痛みでのたうち回った男はうつ伏せになった瞬間吐いた。折れた肋が内臓に突き刺さって信じられないくらい痛むからだ。
気づけば塔子の手は汗ばんでスカートの裾を興奮気味に握っていた。

顔を真っ赤に膨らませて男は獣のように叫んでいた。もう言葉の話し方を忘れてしまった。失禁しているようで男の下半身の周りには水溜りができていた。

女は果物ナイフを男のふくらはぎに突き立て、穴を開けるみたいにぐりぐりと動かし始めた。肉が抉られる。男が失神すると、女は塩を言葉の通り傷口に塗り込み始めた。これも想像を絶する痛みを引き起こす。男は飛び起きた。それでも起きないと女は部屋の隅に置かれた小さな冷蔵庫から水を取り出して男にかけた。女は微笑みながら、男の髪を引っ掴んで殴った。取れかかっていた歯が勢いよく飛び出た。そして、ビチャビチャになった布を男の顔に被せた。こうすると呼吸がうまくできなくなる。
もう限界という時に剥がし、また被せる。水が乾いてきたら水をまた浴びせる。男の呼吸はパニックで乱れている。男は泣いていた。背中の鯉は情けなく跳ねている。

「透子、私もさ、こういう性癖なの」

玲奈は独り言のようにぽつりと言った。拷問に夢中なようで視線はずっとマジックミラーの方に向けられている。

「だから。このお店も気に入ってくれるかなって。気に入ってくれたようで良かった」

透子は何て返せばいいか分からず、パクパクと口を金魚のように動かした。結局何も気の利いたことが言えない気がして、またコンクリート部屋に視線を移した。
玲奈の言う通り、体の芯から興奮している。むしろもっと残虐なことをしたいと思ってしまっている。刺激を求めている自分がいることに気づいた。あの時の蝶みたいに踏み潰したいと思った。

一方女は男をうつ伏せにしていた。抵抗する力も残っていないのか、苦しそうに水っぽい咳を繰り返している。脇腹は黒い紫色に変色していた。
女は鯉を人差し指でなぞった。今までとは打って変わって優しい触り方だ。刺青の黒い線を一本一本なぞっていく。異様な空気が流れていた。
しかし突然、女はまたナイフで鯉の目を一突きした。叫び声が反響する。皮膚の下から赤い筋肉の繊維が鮮明に見えた。女はそこを執拗に指でぐりぐりいじくり回した。
幼な子が虫や蛙をいじめるみたいにニヤニヤと笑いながらいじめていた。女の姿と自身の過去が重なる。
女は少し剥がれた男の皮膚を掴み、そこにピーラーをあてがった。家庭用の普通のピーラーだ。そしてピーラーを傷口の上で滑らせる。ゆっくり、ゆっくり、ピーラーが動く。ギギギ、と滑りの悪い皮膚をピーラーで剥いでいく。
途中つっかえながら、徐々に徐々に、皮膚は傷ついていく。あまり性能が良くないのかスムーズにいかない。そういう時は、ナイフで軽く抉ってからピーラーで追い討ちをかける。
綺麗な黒い鯉がべちゃべちゃと赤色に侵されていく。鱗が剥がれた鯉は段々とその輝きを失っていた。
男は泣きながら叫んでいた。女は高笑いをしていた。
ピーラーに飽きたのか、女はうつ伏せにした男の髪の毛をつかんで床にガンガンと顔を打ちつけ始めた。鼻がごりゅっと折れる。鼻血がダラダラと流れ、喉まで染める。
目も段々と見えなくなる。白い靄がかかったみたいだ。
血も温かさを失っていた。
頭が回らない。

「た、す。たすけ、て」

うわ言のように男は「たすけて」と繰り返していた。壊れた玩具みたい。思わず笑みが漏れる。

最後に女はゴルフクラブで男の頭を砕いた。簡単に男は死んだ。最後に「ガフ、」と声をあげただけだった。車に轢かれた蛙みたいな声だった。呆気のない。
でもそれが、良かった。男の今までの人生を想像し、今こうして呆気なく死んでいることを考える。何度も反芻した。まさかこんな風に生涯を終えるなんて思ってないだろう。
そして、自分の死がエンターテイメントになるなんて夢にも思わなかっただろう。そう思うと信じられないくらい心臓が早鐘を打った。暴れているみたいにドクドクと全身の血管が沸騰している。アドレナリンが体を揺さぶっている。

ああ。惨めにも程がある。最高だ。
最高に可哀想。

「ホールインワン!!!」

指笛を鳴らして玲奈はワイングラスを高く掲げた。酔っているらしい。
猫のような可愛らしい笑顔が、マジックミラーに映った。
その奥には見るも無惨なシガイがあった。ヒトの成れの果てだ。

女が一礼し、コンクリートの部屋を去った。
深呼吸をする。

透子は無言でソファに置かれた玲奈のメビウスを一本取り出して、火をつけた。
メンソールがスッと脳に沁みる。

「ねえ。玲奈。シャンパン、飲みたくなってきた」





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?