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ネタバレ 『検察側の証人』 2021.08.28(火)マチネ

大好きな戯曲である『検察側の証人』を観に行った。

以降の文章はほぼ、ネタバレ部分の核心についてしか書かないと思うので、未見の方にはオススメしない。とはいえ、今回の公演も終わってしまい、次にいつ上演されるかはわからない。

ところがところが、この戯曲には素晴らしい映画がある。何故かしら日本版の映画タイトルは『情婦』というしょーもない名前になってはいるが、原題はちゃんと『Witness for the procecution』だ。

記事をアップした本日時点では、U-NEXTで配信されているようだ。もちろんDVDも発売になっている。

結局のところ、この映画の完成度が高すぎて、これを超える舞台版に出会ったことはないのであるが、舞台には舞台の素晴らしい緊張感があるため、芝居を観に行く。何よりも日本語で観られることがうれしい。
ただ、ひとまずこの作品を堪能したいと思えば、まずはこの映画をご覧になっていただきたいと思う。公開当時、「未見の人に決して結末を明かさないでください」とテロップが流れたというほど、トリックが大事な作品であるので、まずはネタを知らずにご覧いただきたいのだ。

そもそもアガサ・クリスティの『検察側の証人』は元々は短編小説である。構造も非常にシンプルだ。だが、戯曲版は違う。小説版に比べて登場人物が多く、小説版以上の驚きが最後に待ち構えているところが素晴らしい。このミステリ史上最高とも言える戯曲を日本語で堪能できた今回の機会に、まずは心から感謝したい。

さて、本題に入る。(盛大にネタバレする。)

私が過去に観たのは、2002年の麻美れいさん主演の公演、そして2010年の浅丘ルリ子さん主演の公演で、今回が3度目の観劇であった。しかし今回、驚くことがあった。
この公演が最初に発表されたときの配役に「ローマイン/ブロンドの女:瀬奈じゅん」というふうに、瀬奈じゅんさんが二役をやることが明示されてしまったのだ。これを見た瞬間、「これってネタバレそのものじゃないの?」と思ってしまった。

そのような指摘がどこからかあったのか、いつからかわからないが、いつの間にか配役表は「ローマイン:瀬奈じゅん」に変更になっていた。が、実際に舞台を観た結果、この変更はあまり意味がなかったことを知ることになる。

その説明の前に、この「ブロンドの女」という表記について記しておく。おそらくはこの「ブロンドの女」というのは、ローマインが変装した、顔の焼けただれた女を指すのだと思われるのだが、実際に観劇した舞台では、レナードの恋人であるグレタが「ストロベリーブロンドの女」と呼ばれており、非常に混乱を来すこととなった。グレタとローマインは最後に顔を合わせる必要があるため、瀬奈じゅんさんが両方の役をやることは不可能だ。だからこの「ブロンドの女」とはやはり、手紙を持ち込んだ女のことを指すと考えるのが妥当だ。それもあって、配役表から「ブロンドの女」が消えたと考えることもできる。

しかし最初の発表で、敢えて二役を明示したのにはやはり理由があるはずだ。今回の上演が「新演出」と謳われたこととも関係しているかもしれない。

その謎は、実際に舞台を観て、氷解した。
顔の焼けただれた(ブロンドの?)「女」を瀬奈じゅんさんが演じるのであるが、出てきた瞬間に瀬奈じゅんさんだとわかるのだ! ほとんど変装らしい変装をしていないのだ。
本来、映画や過去の舞台では、この「女」がローマインの変装であるということは観客にバレてはならないという当然の前提の下で、バレないような変装をしてこのシーンを演じていた。ところが今回、この「女」は明らかに瀬奈さんであった。(配役表から消しても意味がなかったというのはそういう意味だ。)
つまりそれはどういうことか。この「女」は、ローレインの変装ではなく、瀬奈じゅんさんが(芝居としての)一人二役を演っているのだ、と観客に思ってほしかったのだ。だからチラシに「ローレイン/ブロンドの女:瀬奈じゅん」と書いても、問題がないのだ。問題がないという次元ではない、これこそが観客をひっかけるトリックそのものなのだ。
だからこそ終盤で「女」=ローレインだと明らかにされたとき、観客は「え、瀬奈さんは二役をやっていたわけではなく、あの二人は作品の中では同一人物だったの?!」という驚きを得ることになるのだ。(実際、私が観劇したこの回では、ネタバレの瞬間に近くの客席から「うひぃぃっ!」という悲鳴のような声が上がった

この作品は芝居の中で如何にうまく変装し、演技を変えることがその役者の力量を示すはずだったのに、意地悪な見方をすれば、瀬奈さんはそこから逃げたのだと考えることもできる。しかし決して彼女は逃げたわけではないというのが私の見解だ。彼女はこの新演出の意図を正確に理解し、一人二役を演じる(実際は一人一役なのに!)という偉業に挑戦したのだ。

このことだけで、今回の『検察側の証人』を観に行った価値があったというものだ。

ちなみに私はパンフレットを買っていない。なのでひょっとして、上に書いたような意図はすべてパンフの中で説明されているかもしれない。が、今回の新演出の意図に心から感心した身として、この感想を記しておく。

役者さんたちの演技については割愛するが、一部で絶賛されていた検事役はまったく良いとは思えなかったことだけは言っておきたい。ガナリすぎで芝居になっていない。少なくとも私が求める演技ではなかった。皆がああいう芝居を好きだと思われないために、苦言だけは残しておきたい。

そしてもう一点だけ残念だった点を記しておくと、映画版の最後に見られるように、突如として殺人者となってしまったローレインの弁護人をウィルフリッド卿が引き受けるシーンがなかったことだ。あのシーンがあるからこそ、ローレインの愛の重さが生きてくると思うのであるが、、、演出家には何かしらの意図があったとは思うが、本当に残念だ。

が、しかし、残念な点など些細なことと思えてしまう魔力と素晴らしさがこの舞台にはあった。また再演を楽しみに待ちたい戯曲である。

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