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過去レポ 初見 『ノートルダムの鐘』 2017.01.01(祝)マチネ

昨日アップした3回目の『ノートルダムの鐘』観劇感想がどうもしっくりこないので、初見のときの感想を掘り起こしてきた。手直しを入れつつ、令和の初note。

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2017年の観劇初めは劇団四季新作『ノートルダムの鐘』!

いつも思うのが、観劇始めなのか観劇初めなのかということ。仕事始めと書き初め(読みは違えど)で使い分けることを考えても、継続するものは「始め」で、ポイント毎のものは「初め」と解するのが妥当なのかしらん。

となると、例年であれば明らかに「観劇始め」だけど、グスタフが生まれて以降の生活を考えると、今年は「観劇初め」と呼ぶのが相応しいかな、と、新年早々どうでもよいことを考えた。

さて、本編。

芝フロローの、芝フロローによる、芝フロローのための舞台であった。素晴らしかったけど、納得感はイマイチ。

ホントにね、劇団屈指の存在感を誇る芝さんが演ってるからなのかもしれないけど、まさにフロローが主役の舞台だった。基本的に観劇時に感情移入することはない私でも、フロローの気持ちが手に取るようにわかる、そんな感じ。
アニメ版のフロローは典型的なヴィランズで、悪役そのものだけれど、この舞台では違う。彼はまさに聖職者に相応しい人格を持っていたし、バルジャンの苦悩と同じタイプの苦悩を抱えて生きている人であった。

ただ如何せん、人とは弱いもの。彼の心の中にふと開いた小さな穴が少しずつ拡がり、大きな悪に変化していく様が、リアルに描かれていた。
そこで単純に彼を憎むことができれば、結末の納得感もあったのだろうけれど、とてもそこまで割り切ることはできず。フィーバスが「彼の横暴を許すな!」と叫んでも、「いやいや、フロローは精一杯真面目にやってきたから」と思ってしまった。

とにかくこの舞台は、フロローの心理に追従できるかどうかが大きなポイントだと思う。そうは言っても見方楽しみ方は人それぞれ。海宝カジモドファンにはきっとまた別の楽しみ方があるのだろうな、というのも想像できる。

総じて一幕前半が素晴らしくて、「こんな舞台なら毎日でも観たい。このお正月休みにもっと来られないかしら?」と真剣に考え始めちゃったほど。最後まで観て、まぁ休み中はあと一回でよいかと思えたが、ぜひリピートしたい作品である。

訳詞は、アナ雪の訳詞で名を馳せた高橋女史。アニメで聞きなれた歌詞と違って少し驚いたが、すんなり入っていくことができた。

ディズニー作品ではあるが、特にミュージカルファンの方にオススメしたい。

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