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※前ブログより再掲載※

本日は八月十九日、水曜日。最高気温が三十八度らしい。

人を溶かすと言わんばかりの日差しが私達に降り注いでいます。太陽の思う壺、溶けて消えてしまいそうです。

ブログはとても久々に執筆をしております。実は、今月の頭から体調を絶賛壊しておりまして腹痛から始まり下痢、頭痛、眩暈、吐き気に悩んでおりました。

先週に突然ひどくなってしまい、救急で自分の足で行くと“急性腸炎から脱水症状に陥っている。”と医師に言われました。

まあ、脱水ならば胃腸に優しいものを口に含める分だけ含んで水分摂取に励行すれば治ると思い込んでなんとか一晩を過ごしたのですが、翌日の朝から耳と目の奥の痛みがひどくなり、耳鼻科にかからないと。と思っていたのだがお盆休みということもあり、どこも休診中。

仕方なく♯7119に相談してみると近くの総合病院を三件教えてくださった。耳鼻科というよりも脳神経内科や神経等を診てくれるところがいいと言われた。

一件目は昨日の晩に急性腸炎を診断していただいた病院だった。またもう一件はかなり距離のある病院だった為、なし。残りの病院に一縷の望みをかけて電話を掛けた。

現在の症状と既往歴、通院手段を伝えると受け入れ可能の返事を頂けたので電話を切り早速向かおうと準備を始めた時、母親の方に折り返しの電話が来た。

症状の様子を聞いていると、現在とても流行ってしまっている新型コロナウイルスに罹患している可能性があるので受け入れ拒否を医師が告げたという。母親もある程度覚悟はしていたがやはり告げられると気が動転してしまっているように見えた。

市の保健所もしくは新型コロナウイルス相談窓口に電話をして、受け入れ可の病院を探すしかない。と言われたらしい。

私は、ますます容体が悪くなっていった。寝起きや朝方が一番体調のコンディションが悪い様子だった。

ぐったりしている私を母はみて、自分の足でいくことは不可能であると判断し、保健所・コロナ相談窓口に救急車で行くべきかも相談していた。

相手方の発言が右往左往していたり二転三転していたりでとにかく話が終わらない。こちらとしては、どこの病院がコロナの疑いがあっても受け入れてくれるのか?救急車を要請してもいい状態なのか?全く答えにならなかった。

母はかなり癪に障って、煮え繰り返っていた。話にならないと電話を切りもう一度♯7119に相談の電話を掛けた。

そうすると、先ほど相談にのっていただいた方が受電してくださり状況を説明するとすぐに救急車を要請してくださいと言い切り繋げてくださった。救急隊員はかなり話ももちろんのことだがスムーズでちゃんと親身に聞いてくださるような方だった。

本当は、私自身こんな症状で救急車には乗りたくなかった。

過去に、急性胃腸炎でひどい炎症を起こし一滴も水分を摂取することができないくらいの状況になったことがあり、その際にかかっていた内科の医師に『ここに居たままで結構なのですぐに救急車を手配してください、こちらは近くの総合病院に紹介状を書いておきます』と言われ一台要請したことがあった。

もちろん医師がそう仰っているので大丈夫、不要不急の要請でないと思い切って居たのだが到着した救急隊員に「こんな症状で救急車を要請しないで欲しい」と言って叱責を受けたことがあった。

そこから、本当の救急車の呼ぶハードルが私の中で高くなった。人一倍救急車に乗る機会が多いのに。

今回は、入電しとても優しく受け入れてくださったので驚いたし安堵感でいっぱいだった。

そう思っていると、猛烈な吐き気が身を襲ってきた。お手洗いに駆け込み胃の中に入っていたありとあらゆるものが出てしまった。

吐きどめと整腸剤も飲んでいたが消化されていないほどすぐに出してしまった。

お手洗いで戦っているところに救急車はちょうどやって来て、すぐに車内に。バイタルチェックを即座にし、すぐに受け入れ先の病院を探していた。

少し距離があるが唯一受け入れ態勢のある病院が見つかり、ようやく病院に行くことができた。

すぐに問診を済まし、精密検査を受けることとなった。

まずは、頚椎X線撮影。私自身スケートボードをしているので頭部をぶつけたり首に鞭打ちを起こすようなことも多々あったので不安があった。

そして胸部CT。新型コロナウイルスの罹患している可能性があったので、胸部のCTを撮り影があるかないか診察する必要性があったらしい。

最後に頭部MRI。とにかく眩暈と右目の奥の痛みと頭部の痛みがあったので、撮ることに。

ボディーピアスを耳や顔面、口の中にもつけていたりし、飲み込んだこともあったためまだ排泄されていなかったり外し忘れ等がないかとても恐れていた。

吸着事故が何よりも恐怖で責任も撮ることのできない自身なのでかなりの恐怖心と戦っていた。

音も頭部の撮影ということもあり、かなり大きく恐怖心を壮大させる空間で早く抜け出したい気持ちでいっぱいだったのとMRIを全身受けている患者さんたちや診療放射線技師に感銘をまた受けていた。

全ての検査が終わり数十分経った頃、三診脳神経外科に呼ばれた。

大凡、五十後半から六十前半くらいの男の医師が待っていた。

手前にあるモニターには私自身の頭部のMRI画像と頚椎のX線画像が映されており、頭部全体が確認できるように医師がスクロールしていた。とても興味深く、そしてそのデータが欲しくてたまらなかった。

医師曰く、脳や頚椎の神経等に何も異常がなくコロナウイルスでも陰性だと言い切った。

それに加えて、血管もなんら異常なくとても綺麗な状況だと言っていただいた。

問題はそこからだった。

とにかく、画像を見たり問診の結果や現在の症状を聞いていると心理的要因であると断定した。

メンタルバランスが安定するようにとれていない、そしてとれないような状況であることと精神的に問題があると仰っていた。

腕の傷に対して『どうせこれも、自分でしたのでしょう?中二病みたいな状態は誰にでも若いうちにあることだから。』と。

母親は頭に血が上り、私の病名を伝え自分の意思じゃないことを耳に入れさせ治療を続けたりそれに対して意思があることを医師にかなり憤怒していた。私は憤懣やる方ない気持ちでいっぱいになった。

医師はメンタルバランスも取れない人間は嫌なことを排除し、好きなことや楽しいと思うことをやりなさい。と仰っていたので私はその診察室から出ることにした。とてつもない反抗心のような気持ちをドアノブにぶつけ、置いて来た。

脳や頚椎、神経などにエビデンスのない状況だったのなら全て精神的、心理的要因に片付けるしかない。といった”エビデンスの無い”吐きごとをつらつらと並べられると辛いが何より言い方に問題があったことと今ある症状がどのように治るのかそしてどの期間で治るのか何も理解できない状況で病院を後にしたことが何より悔しかった。

ポジティブに捉えると、脳・頚椎・胸部に何ら問題なく正常の状態だと確認できたことが何よりも救いだったが。

会計待ちの時、母が肩をさすってくれた。その時にかなり肩に力が入っていることと、かなりの凝りがある言った。

肩こりから、頭痛や吐き気・眩暈が来ることもあるから整骨院や揉みほぐしをしているところに気分転換がてら行こうと言ってくれた。

確かに、ここ最近トゥレット症候群のチックもひどかったしスケボー・BMXなどの全身使うスポーツをしていたり緊張するようなことが多々あったのでありがたかった。

病院を後にし、近くのショッピングモールの中のマクドナルドに昼食を食べに向かった。

なぜかマクドナルドがとても食べたかったのと久しく食べていなかったので美味しかったのだが、脳外の医師に告げられたことはとても心にきており傷心してしまっていた。

確かに最近精神的にとても苦しかったことと、我慢しすぎたのは自分でも深く理解していたがそんな状況だからこそ普段喰らわない棘が深く刺さってしまい抜くことができなかった。

初めて、ファーストフード店で大きな涙を流しながらフライドポテトを口にした。今その場面を想像すると周りの人は面白い光景だろうなと少し笑ってしまいそうになる。

同ショッピングモール内の整骨院に向かい予約を取ろうとしたら空いている時間が夜の七時を超えてしまう。と言われた。

流石に七時ごろまでこの場には居ることができないと思いキャンセルし、米津玄師のTシャツ販売が本日だというのを母に伝えるととりあえず他のマッサージ店に行く前に在庫あるかどうかだけでも見に行こうと言ってくれた。

私は流石にないと思っていたが、店舗にはかなりの在庫が残っておりサイズや種類も豊富にあったのでお目当のシャツを二枚買ってくれた。誕生日プレゼントらしい。感謝だな。

そして前から探していた、売り切れ続出の無印良品の線香を探しに向かった。在庫が入ってもすぐになくなってしまうほど人気の線香で売ってないと思っていたら三つだけ奇跡的に残っていた。

今日はついているものとついていないものが顕著に現れる日なのだと思った。

その線香も、母が買ってくれ匂いが気に入った本人も買っていた。

ショッピングモールから炎天下の中二十分ほど頑張って歩き、一番近いマッサージ店に向かった。

ここでも予約がいっぱいだった、一番早くて一時間半待ちだと告げられ炎天下の中一時間半待つことは無理であると判断しキャンセル。

そこから十五分ほど待ちようやくバスに乗って帰路につくことができた。

帰宅し、家の近くのマッサージ店に電話するも夜の八時からしか受けることができないと言われ、しぶしぶ了承。

予約を入れたが、当日にパートナーの家に帰ることを考えていた私はとうにパートナーに帰ることを告げていた。

夜の八時からしか、マッサージを受けることしかできなかった、帰るのは明日になる。と告げるととても拗ねていた。

体調を考えて欲しいとばかり心に浮かんでいた私はいつか拗ねて居る気持ちも晴れるだろうと放置した。

食事をとったり、軽く仮眠を取って居るとすぐに八時になり店に向かった。

半年前位にできた新店舗だったので内装はとても綺麗だった。

すぐに施術してもらい全身くまなくほぐしていただいた。

肩はとにかく右が張っており、気持ち良いと感じることができないほどだった。

腰も右が特に凝っていて、左に関しては痛いとくすぐったくて我慢するのに必死だった。

肩甲骨はがしを初めて体験し、痛みというより変な感覚と取れてしまわないかなどの難しい感情が出てしまい笑いをこらえるのに必死だった。ただ肩周りがとても軽くなっていた。こんな技術を習得できる講習をして居る店舗だったので凄いなと素直に思った。

足は、スケボーやBMX等のスポーツやデスクワークで血行不良になっていたのでとても気持ちよかった。

足裏や、手の先までくまなくやっていただけたことと何より、頭部や首回り、耳周りも施術していただけたのが一番よかった。

右側の頭部がかなり硬くなっていたそうで驚いた声で『硬いです!』と言われて原因がわかった気がして身も心も少しスッキリしていた。

帰宅し、入浴してからすぐに入眠することができた。睡眠不足もあったため快く眠ることができて翌朝少しスッキリした。

翌日、吐き気とめまいの中パートナーの家に戻ることにした。

首に保冷剤の入れれる首巻きをつけ、帽子やアームカバーをつけどこかの主婦みたいな服装で帰路につく。

パートナーは途中まで迎えにきてくれており、久々見る顔だったので変な感覚だった。

家に着いても吐き気と戦っていた、食事をとることを顕著に嫌がってしまい泣きながら食べていた。

パートナーは、残してもいいし無理はしないでと優しく言ってくれていた。

そこから数日たち、二日前。十七日の早朝、昼夜逆転していたことと妙な吐き気に悩まされていたため二人で起きていた。

症状の見直しを二人でしていた。

全体に起きて居ることは 吐き気・眩暈・頭痛・耳の閉塞感・右目の奥が痛い・生理が来ていない・異常な胸の張り

パートナーは『耳の閉塞感、吐き気、生理不順、胸で。一つしかない』と言った。

薄々私自身も信じがたいことが起きて居るのではと思っていた。

不安感しかない状況だったので、すぐに薬局に向かい検査薬を買った。

家に着きすぐに検査をする、結果はありえないなどと決め付けたようなことが起こっていた。

二人とも、子供が産めない状況だった。

私は、精神的な問題から生理不順になり排卵障害が起こっていた。

その排卵障害を治すために、排卵促進剤と低容量ピルを飲んだりの行ったり来たりをしていた。

自然な生理を自らできる体になっておらず、薬の力を借りて人工的に起こさせて居る状況だった。

医師には、子供を産める確率が低いと言われていた。

そして、パートナーは過去の薬物乱用と性病放置により精巣からの管が塞がってしまった状態になって居る。

医師に、手術しないと子供を授かることはできないと断言されていたそう。

そんな二人の間に、青い線で存在を示された。

私がここ二,三週間悩んだ原因が体の中にいた。

妊娠発覚。

一気に現実に押し出されるが過去にも妊娠疑惑があった私は現実を理解していた。

酷な話だが、私自身はまだ産める人でも育てれる人でも人格でもない。我が子を生んで地獄に落とすようなことはできない。

答えは決まっていたが、相手も意見もある。食い違いが発生してしまったらどうしようと、そこが一番心配だった。

パートナーは、今まで誰にも言っていないことも含めて全て話すと言った。

耳を塞ぎたくなるようなこともたくさんあるだろうと覚悟した。

結論、子供は産めない。育てれない。

それは経済的な意味ではなく、自分自身の人格や性格的に産んではいけない。

弱いところを今のパートナーに見せることもできず、精神的にも不安定な状況が続いて居ると。

過去の人を見ても、自分は過去のある人を超える人などいないと思ってしまって居る、だから今貴方が自分に対して不安感があるのだと思われる。

ただ、今年の頭に考えが靴替えさるようなことが起きた。その時に現実をまた思い知らされた。

結婚に対して、本気で考えるようになった、だからこそ貴方を家から出し受け止めることができて居る。

親しい友人にもなんども問われた、そのことを聞かれること自体が今までないほど本気で考えて居る。

だからこそ、結婚前提で付き合ってほしいと申し入れたし現在進行形で考えて居る。

まだ今のパートナーにお互いが全力でない、信用すらできていない、報連相もままなっていないそんな自分たちが本気で変わらなければ行けないからそれを考えさせるために子供がお腹に身ごもったのだと自分自身は感じた。

現実的には、産むことも育てることもできない。それは今だからこそ。

別れを告げなければ行けない現状だが忘れることなく全てを背負って生きていくしかない。と告げられた。

私自身は、人殺しのようなことをする。そして無責任な行動だった、浅はかだったと自責の念で一杯だったがお腹にいる子供が教えてくれることも山ほどあるのだと感じた。

本当は産みたいし初めてこの人ととの子供が欲しいと子供嫌いの私が思った。

だからこそ自責の念でいっぱいだった。覚悟を決めないと行けないと言い聞かせた。

まずは、本当に妊娠して居るのか確認をしなくてはならない。そのためにお盆休みが明けたらかかりつけの産婦人科に向かうこと。

そして、人工中絶を受ける覚悟を決めること。

妊娠検査薬、妊娠によってもらえるものを全て背負って離さず持ち続けること。

全てをやりきると覚悟すること。

口外しないこと。

全てをやりきる覚悟をすること、そしてそれをやり切ったのであるならば来年の記念日に籍を入れようとパートナーに告げられた。

本当は結婚も前提だったがする気はなかった。したくなかった。

ちゃらんぽらんな人間だと思って居るし、いつか別れがくるのを知っていたからこそだ。

そんなパートナーが、本気で涙し、本気で変わると言い切った姿を見てどうにでもなれ、とその提案に乗っかった。

もう、この人を本気で好きになりに行かないといけないし本気で信頼しないといけないと思った。

この人が初めて私の対人関係のスタイルを根底から壊し、より良い本来の対人を教えてくれるのかなと期待した。

『親父より、クソな親父になってしまったな。数ヶ月の親父を頑張るしかない』

『キャッチボールしたかったな。』  と涙しながら本音を降らせていた。

私も本当は、したかったこと山ほどある。会いたかった。キャッチボールだって叱ることだって褒めることだって山ほどしたいことありすぎる。

でもお互い心から、綺麗事だけじゃ不幸にしてしまうことを身を以て理解して居るからこそ辛辣な現実を選択する。

美談にももちろんできない、一生背負って墓まで持って行かないといけない。

そこからのこと、二日経った今でもパートナーは体調を心配し全てサポートしてくれて居る。

食事もまともに取れない、バランスや時間も合わせてもらって居る。作るのも洗うのも全て。

食べづわりなのか、空腹を少しでも感じると吐き気に襲われる。そして食べれなくなって余計に吐き気が出る。

首から上もぼーっとしていて、妊婦はこんなに大変なのかと想像した。

まだ検査に行っていないので、陽性で無かったら恐怖で仕方ないが。

本日八月十九日、久々に職場にきたが体調の面で昼には帰らせていただくことに。

融通が利かせていただける、職場でよかった。

これからもっと苦しいだろうが、今は動けて居るのでそのうちに頑張りたいと思う。

変わるためにも、もう一度出会うためにも。

本当に未熟な人間なのだと痛感させられた。

パートナーと支え合って、過ごしていきたい。

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