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「お茶しませんか」で世界が広がることがある

「お茶しませんか?」「ランチでも」「飲みいきましょう」なにげない一言が、その後の自分の世界を切り拓いたりするから不思議なものだ。

SNSの最大のメリットは、この一言をまだ会ったことのない人にでも、気軽に送り合えたりするすることにあるのかもしれない。

最近立て続けに、ひさびさに会う人や初めて会う人と、お茶をしたり、ランチをしたり、飲む機会があった。(毎日同じ人と会うのではないという意味で)流動的に人と顔を合わせて話すことは、これ以上ない思考と発想の機会になると気が付いた。

毎日のようにNetflixを観るし、本もたくさん読むし、本を書いたりもする。
一定以上のインプット/アウトプットは習慣的にやっているはずなのに、習慣こそが慣性に、陥穽になってしまうこともあると思うのだ。

固定化されたフォーマットがインプットの収集源であると、脳は楽をしたがる。インプットをnoteなどに吐き出すにしても、生身の人間と対峙しながら会話するほどのインタラクティブ性にはどうしても欠ける。

思考や発想が放射的に広げるための、最大限に豊穣な方法論は、誰かと面と向かって対話すること。以上に有益なことはない。

カラスの牧野さんがツイッターでこんなことを言っていた。

ひとと話していると「思考が回転する」ようになるしひとりでいると「思考が深まる」ようになるから、 本当にどっちも大事だし、バランスが大事だなと思っている。

まさにこの感覚。
とりわけ自分が半分専門のようにしているジャンルの業界とは距離がある、畑が違う人との対話は、想像力が拡張される感覚を覚える。

それぞれが話を差し出しながら、会話が淀みながら流れる。反予定調和的に、間欠泉のように、ボコボコと次の話題が生まれる。その度ごとに、頭を回転させる。はじめから所与の情報を受け取り、仕舞い込むのではなく、その場で思考し、咀嚼し、仮説を立てる。それをぶつけ合うプロセスが楽しい。

これまで自分から積極的に「お茶しませんか」などの声をかけることが少なかったのが悔やまれる。今年は、自分から声をかけてみようと思います!
その際はお付き合いいただけたら嬉しいです。

またお誘いも待ってます!

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。