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【インド瞑想記⑪】10 DAYS WONDERの終焉

注釈:本noteは2013年5月に書かれたブログに若干の修正・加筆を加えたものです。

#⑩にひき続いて...。

いよいよ瞑想も実質的な最終日を迎える。(今日のam10に沈黙"noble silence"が解かれることとなる)

この10日間、全身から朝日を浴びることの気持ちよさを感じながら過ごしてきた。

なんとなく、この施設から外へ一歩を踏み出し、雑踏のなかにスムーズに適応できるか不安がよぎる。

この施設自体は"街"から離れた郊外に閉鎖的にあるし、この10日間一度たりともセンターの外へ出ていないわけで、そういう意味で「日本」も「インド」もなく、自分はただ「瞑想」の内にあった。

自分はたったの10日間で彼はそれこそ50年とあまりにも数字が乖離していて、比較することすら尊大だけれど、『ショーシャンクの空に』のワンシーンを思い起こさずにはいられなかった。


ショーシャンク刑務所にはいろんな囚人がいる。

その一人が人生の大半を刑務所で過ごした老囚人のブルックス。

思いがけず50年ぶりに仮釈放となり、塀の外へ出ることとなる。

ところが仮釈放を目前に彼は発狂し、他の囚人をナイフで傷つけてしまう。

本来、釈放されることは悦ばしきもののはずなのに、ブルックスにとっては違った。

モーガン・フリーマン演じるレッドのセリフにその理由のすべてが凝縮されている。

The man's been in here 50 years. This is all he knows. In here, he's an important man, he's an educated man. Outside, he's nothing. Just a used-up con with arthritis in both hands. Probably couldn't get a library card if he tried. (あの男は50年いたんだ。やつはここしか知らない。ここでなら、やつはいっぱしの男、学のある男だ。外へ出れば、何でもない、両手が関節炎にかかったただの年寄りの元囚人だ。もしかしたら、図書館の利用カードだって発行してもらえないかもしれない)

レッドはブルックスが50年の囚人生活のなかで、"institutionalized"(外では生活していくのが困難なほどに収容施設の生活に慣れてしまった)という。

塀の中では図書係として主人公のアンディーと図書館の発展に寄与し、尊敬される存在だったが、塀の外ではただの前科者でしかない。

たった10日間の生活でも"institutionalized"の意味の一端、塵を掴んだ気がした。

その分、出家僧としての人生を歩む人たちへ畏怖の念が湧いた。

一応、10日目の午後は沈黙も解かれ、その適応への講話などある意味で慣らしていくようにプログラムが設計されている。(cushion dayのようなもの)

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この10日間のプログラムを終えて、次回以降は(次回以降があるのならば)30日間コースにも参加できるようになる。

正直、いまはあまり考えたくない。

石鎚山で山林修行に励む空海のイメージ。

10日間で解脱なんて有り得ない。ましてや即身成仏なんて。

10日間坊主で過ごしてみて、とても清々しい。

瞑想がはじまる前に髪を短くしておいて本当に良かった。(坊主にしていなかったことを考えると、ちょっとゾッとする。うっとうしいし、暑いし、たぶん臭い)

正しい判断だった。心身ともにサッパリと、平静を保てたし、なんといっても手入れが楽チン。

noble silenceが解かれる直前にはmeta meditationという新しいタイプの瞑想も紹介というか、導入というかとして教えられた。

そして、ついにその時を迎える。

最後の瞑想を終え、ついに沈黙が破られる。

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終わった瞬間、参加者同士で抱き合っている人もいる。

10日間、ずっと一緒にいたのに一言も言葉を交わしたことのなかった人々、「同じ釜の飯」ならぬ同じセンターで瞑想をしていた同志ということですぐに打ち解ける。

共に苦行を乗り越えた。

一番ビックリしたのは、スリランカやミャンマーから遠出してきていた僧たちが、すぐにメアドを交換し合っていたこと。笑(そもそも携帯持ってんのか。話しかけると、僧の人たちもみんな気さくで名刺をくれた。「今度スカイプしよう」と言われる。笑)

達成感というよりも、充実感に近いような。

谷川俊太郎「春に」の「この気持ちはなんだろー」のフレーズがずっとこだまする。

大手進学塾で講師をしていたとき、低学年の小学生を指導していた時、おとなしく座らせるのすら大変だったことを鑑みると、正直、自我が芽生える前の子どもにとっては「瞑想」は無理だと思う。大人でさえ辛い。

立花隆『青春漂流』で言及のある猿回しの調教のようにで座り付け、瞑想の姿勢を強制的にとらせたとしても、前提に「自発性」がなければ本当の瞑想とは言い難い。

"沈黙"が解かれてからは、参加者同士の話に花が咲いた。

瞑想のことをはじめ、それぞれの国の文化、そして他愛のないどうしようもない話。

今でも覚えているのは、インド人(カルカッタ出身)の大学生の男の子、どうやら本当に日本フリークらしく矢継ぎ早に次から次へと質問を投げかけてきた。

(映画『』はみたか?日本の特殊出生率の低下の主因は何か?ネットで日本の何を調べていてもポルノサイトが出てくるのだが)などなど笑

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あまり一般化することは好きではないのだけれど、『インドで考えたこと』で堀田善衛さんも言っていたようにインドの人はとにかく話というか議論好きでときどきついて行けなくなって、辟易してしまうこともある。

オーストラリア人のジョンと、上記のインド人の子が「付き合うこと(relationship)」について激論を交わしていたことがまず思い出される。

結論は「コミットメント」を築き上げることに落ち着いた。笑

その議論の途中でセックスに話が及んだ。

インドでは宗教や厳格さによって婚前交渉が固く禁じられている。

激論の傍らで、面白おかしく傍観していた自分は横にいたギリシャ人の奴に「聞いた話だとギリシャ人は世界でもっとも頻繁に性交渉を行なっているらしいが本当か?」と聞くと、「たぶん、ただしいよ笑」と言っていました、そこに横槍をさす形で、横にいたインド人(この瞑想センターの所在地、ガヤが地元の男性)が「だったらガヤは世界で二番目だな」と語っていた。

自分「どうして?」

そのインド人「インドで一番、人口密度が高いんだよ。ここは」

真意のほどは分からないが、、なかなか面白い話が次から次へと飛び出した。

この瞑想が終わるまで詳細は分からなかったが、参加者はほんとに世界中、多岐にわたる。

既出のギリシャ、カナダ(ケベック出身だから第一言語はフランス語)、オーストラリア、カザフスタン、フランス、一番驚きだったのは仏領の島から来たという女性。

正確な島の名前は忘れてしまったけれど、アフリカ大陸の右端にあるマダガスカルの近くにある小さな島だという。

ときどき、自分の部屋にある大きな世界地図のポスターをみて思う、はじめて見る国旗、まばらに散らばる小さな島、そこに人々が生きていて、自分と同じ時代を今日も生きている。にわかに想像しがたい。

だけど、こうして出会ってみると、実感が少しだけど湧く。

フランスの女性とはかなりの時間話し込んだ。

これまでアフリカを何カ国も訪れたことがあるという。アフリカはフランス語圏の国が多い。(とうぜん、植民地の歴史による)

台湾の高齢者やブラジル移民の人など、居ないことはないが日本語は実質日本だけで通じる。

自分含め、日本人からすると、母国以外で母国語が生活に使われているというのはどうゆう感覚なのだろうか。

旅行を旅行たらしめる、大きなウェートを占めるものとして外国語はあると思う。

仮にアフリカの大陸で普通に「日本語」が話されているとしたら、どういう雰囲気なのだろうか。

それにしてもFacebookでフレンドになってしまえば、即座につながり、お互いの基本的な情報を共有できる、なんとも便利な時代になった。

つい昔までは旅では住所を交換していたし、それがメールアドレスになり、いまはフェイスブック。(このことは前に「ぼくらは見えない鎖で繋がっている」で書きました)

沈黙が解けた午後には、なぜか啓発ドキュメンタリーが上映された。

ヴィパッサナー瞑想が刑務所での更生プログラムに活用されているといもの。

これはけっこう背筋がゾッとするムービーで、インドで薬物に手を出してしまった人や、密輸で捕まった外国人(オーストラリアやイングランドの若者)が出てきて、軽率に犯罪を犯すことの恐怖がすごいです。

インドの場合、ただでさえ人口が多いのでどれほど軽犯罪であっても、裁判になるまでが長い。だから拘留期間がとてつもなく長い。

最終日である今日の夜にあったディスコースはこれまでで一番長かった。

ヴィパッサナーの創始者であるゴエンカさんの生い立ちやヴィパッサナーを創始するに至った経緯が克明に描かれる。

ゴエンカさんは実はミャンマー出身で、はじめてのコースはムンバイで行われたそう。


瞑想が終わった晩、はじめに聞いたのはSigur Rósの'Hoppípolla'。

ぽたぽたと大いなる慈愛に包み込まれていくように、アイスランドでオーロラを見上げていたある夜のことを思い出す。

そんなレイキャビクでの日々とインドでの瞑想の日々がグラデーションのように交叉する。それから、Nujabes、Letting Up Despite Great Faults、Freelance Whalesを垂れ流しながら、眠りにつく。

#⑫では総括として、プログラムを通しての振り返りを書きたいと思っています。

10/17追記

けっきょく⑫は書かず、「インド修業から、東大に受かるまで」という記事に結実しました。


ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。