「マウンティング=全能感」の向こう側の、薄い壁

友人のりょかちが「内定企業ラベルほど剥がれやすいゴールドラベルはない」という文章を書いていた。

大学三年生から四年生にかけて、だれもがなんとなく感じるあの違和感。
タイトルがすべてを言い尽くしているので、ここでは少し話を敷衍して、「なぜ人は"マウンティング"しようとするのか?」について考えてみたい。

ちょうど先日も、友人と「謙虚であることが大事。マウンティングはいただけない」、「いやでも、"マウンティング"という言葉を使った瞬間、思考停止に陥る」とディスカッションしていたので、個人的にはホットな話題なのだ。

マウンティングの生成過程

マウンティングとは、本来、動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子をいいますが、人間関係においては、「自分の方が優位」と思いたいがゆえに、「私の方が他人よりも幸せである」と一方的に格付けし、自分の方が立場は上であると主張し、更にそれをアピールする...
(引用元:http://type.jp/s/caretopi/relationship/20160205.html)

本人は好意からアドバイスを与えたり、諭したりしていても、相手が「マウンティングをされている」と感じた瞬間に"マウンティング"は生じる。
マウンティングを行っている主体「A」と、されている客体「B」という図式を判定し、願わくは止揚してくれるような「C」がいれば話は分かりやすいのだが、往往にしてA→Bという図式においてマウンティングは起こる。

とりわけ、同質性の高いコミュニティにおいて"マウンティング"は生起するのではないだろうか。なぜなら、あまりにもレイヤーの異なるコミュニティ間では、「コミュニティが違う」という理由によって、そもそもマウンティングをする必要性がない。

大学という同質性の高いコミュニティでは、大学一年生から四年生にかけて、サークルやインターンなどの活動の活発度により、「目立っている」といったような程度の差こそあれど、ほとんどがドングリの背比べである。

そこにおいて、突如出現するのが、社会的に構築されたラベル「内定」である。大学という閉じたコミュニティではなく、開かれた社会で認知される社会性の高いラベルに、自身の価値を仮託する者が続出する。これは「俺はお前よりも、ランクの良い会社に入っている」という言外のマウンティングに他ならない。言ってしまえば、偏差値的尺度の延長線上で物事を考えている人の典型的な思考パターンだ。

マウンティングは"うたかたの夢"

ただ、多少なりとも歳をとった今から考えてみると、
こうしたマウンティングの生成過程はある意味で、自然な成り行きとも言える。

なぜならば、大学生の時分で、自分自身を表象する武器を持つ人は少ないからだ。今ではどうか分からないものの、少なくとも自分が学生だった5年ほど前までは、Twitterのプロフィール欄に数多くの"マウンティングの種"が撒き散らされていた。「XX大学」「XXサークル代表」「XXインターン」と細かなタグ連ね、どうにか自分のプロフィールを装飾しようとする。おそらく自分もそうであったし、SNSの外圧は、そうしたプレッシャーを惹起するものなのだろう。

言うまでもないことであるが、安易なラベルを誇示することによるマウンティングの愉悦は"うたかたの夢"だ。一瞬にして雲散霧消する。
人生のステージが変わるということは、先述した同質性の高いコミュニティが瓦解されることを意味するからだ。
(ここで言っていることは、あくまでも僕の主観と経験によるので、一つの見方にすぎない)

社会という別の大きなコミュニティに接続されたとき、自分の未熟さ、脆さ、弱さを突きつけられる。

そこではじめて、「自分はあのとき、マウンティングをしてしまっていたのかもしれない?」ということも気づく人もいるかもしれない。

つまり、マウンティングはひどく限定された世界(ステージ)の中における相対化に他ならないのである。そこから別のステージに入り込んだとき、後天的にそのことに気づかされる。一瞬だけ、感じたあの全能感は薄い薄い氷に過ぎなかったことを。

薄い壁を破り続けた先に、与えられるかもしれないラベル

ぼくは会社に結局、1年弱しかいなかったので、大学を卒業したあとに生じるかもしれないマウンティングについては知らない。

いわゆる「働きアリの法則」ではないが、会社では多くの優秀な先輩方と出会うことができた。その度、自分の小ささを知った。

会社を辞めてからは、さらに多くの卓抜した人々と出会う機会に恵まれた。陳腐な言葉になるが、「社会の広さ」を知った。
グループ間、コミュニティ間、ステージ間、移行のたびに自分自身を相対化していく。上を見上げれば、見上げるほど、リスペクトする人たちはおごりがなく謙虚で、温厚でやわらかな人ばかりであることに気づかされる。

(同質性が高いと尚のこと)あるコミュニティに留まっている限り、コミュニティの外側に目を向けることは難しくなり、無意識レベルでのマウンティング精神が顔を覗かせる。場合によっては、物理的な環境を変えないかぎり、それに抗うのは難しいかもしれない。

いかにマウンティング=一瞬の全能感が、薄い壁であったのかを痛感するか。薄い壁を破り続けていくか。破ってきた数が、その人足らしめる、本当のラベルを付与してくれるのかもしれない。ラベルは自分で宣言するものではなく、気づいたら与えられるもの。

と、ここまで長ったらしく語ってきたことは、諸先輩がたは当然のように気付かれていることなのではないかと思う。
この文章のメッセージが伝われば嬉しいのは、まさに就職活動中であったり、周りの"マウンティング"に悩んだり、プレッシャーを感じている人だ。

マウンティングに対して、ファイティングポーズで構えなくていい。
不安にならないでいい。
むしろ、マウンティングは「怖い、不安である」という気持ちの現れなのであるということを理解できればいい。

薄い壁を壊し続けていくことでしか、本質的な自己成長はないと思うから。

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