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【インド瞑想記⑤】いわゆる「静かな日々の階段」― just continuum

注釈:本noteは2013年5月に書かれたブログに若干の修正・加筆を加えたものです。

#④にひき続いて...。

億劫で仕方なかった4時起床。

3日も過ぎると、目覚めが気持ちよくなってきた。

ぼんやりと、まだ開ききらない瞼をこすりながら、窓の外に広がるファジーネーブル色の曙光をみつめる。

ベッドから這い出ると、すぐに顔を水で洗った後、外に出てラジオ体操のようなものをやり、全身に目覚めの号令をかける。

天に向かって思いっきり背中を伸ばす。とっても気持ちがイイ。

(早起きといえば、この記事がとても有益に思いました。とくに日本に帰国してこの生活を維持するためにも。「早起きの常識を覆したら、毎朝5時に起きられるようになったお話」)

ホールでの瞑想に参加する前に洗濯を済ませておく。太陽が照りつけていて、乾くのは極めて早い。

こんな風にゆったりと、何に追われるでもなく、静謐な時間の中に身をおいているとソローがエッセイで言っていたことがよくわかる。

一日一日が、これまでけがしてきた時間よりも早くて、神聖で、曙光に満たされた時間を含んでることを信じない人間は、結局、人生に絶望しているのであり、暗さをつのらせてゆく坂道を転落しているのである。感覚的な生活がいったん中断されたあと、人間の魂、いや、むしろ魂の諸器官は、毎朝活力を取り戻し、そのひとの「霊性」は、ふたたび気高い生活を営もうと努力するのである。

ただ、さすがに毎日同じ飯には辟易した。味は悪くないのだが。

高校1年次の夏に1ヶ月間ユタ・ソルトレイクシティにホームステイしていたときのことを思い出した。ホストファミリーといっても、70〜80歳くらいのおばあさん一人。

敬虔なモルモン教徒で、近くの教会の牧師をやっていて、宗教関連の啓発書も何冊か出版しているほどの筋金入りの宗教家。

話題の9割は宗教だった。

そして出される食事は1ヶ月間不変(自家栽培の野菜、みたこともない野菜だったので未だに名称が分からない)で、みるみるうちに食欲も減退していき痩せ細っていった。

体力もみるみる減っていくぼくを見かねたのか、最終日にはタコベルに連れて行ってくれた。

よく海外に行って、日本語を耳にすると安心感や懐かしさを覚えるという。

インドに着いた当初、アメリカ英語を耳にすると同様の安堵感を覚えていた。

インド英語独特の訛り(わりとイギリス英語寄り)、ぼく自身の英語がアメリカ英語なので、最初は困惑しましたが徐々に慣れていった。

各国の英語といえば、有名ですがこの動画が最高にクオリティ高いですよね。(インド英語のイミテーションも最高です笑 個人的にはRussianが一番ツボですね、それからNigerianもうまく特徴つかんでる)

夜の講話(discourse)もアクセントの強いインド英語だった。

この必死に言葉に食らいつこうとする感じ、以前どこかで体験した感覚。

そうです、高校3年生のときに行った福島での免許合宿。笑

学科の講師がコテコテの福島弁訛りで、なにひとつ教習が理解できなかったのでした。そりゃもうインド英語よりも酷かった。笑

軽いランチを終え、しばしの休憩で自分の部屋へ戻る。

当然の如く、我が家では多くの虫達がくつろいでいる。

最初はいちいち文句を言っていたトカゲにも、「ただいま」という始末。

どれだけ受け入れがたいと思った環境も衛生も、数日すれば慣れてしまう、人間の適応能力。「足るを知る」というか諦念。

ベッドに蚊帳もあり、日中は虫よけスプレー全身にふりかけ、寝るときは蚊取り線香を忘れず焚くのに、気づいたら全身100箇所くらい刺されてる。笑

瞑想のときも当初、ハエや蚊が体に止まる度に振り払っていたけれど、あるときからはもう気にならなくなる。受け容れる。

虫なんて簡単に友達になれますよ。まして10日間誰とも口にしちゃいけない状況の中では。人は独りじゃ生きれないんです。

きっと、独りっきりで山篭りしている人だって、ぼくと同じように虫や鳥とお友達になることに疑いの余地ありません。

タバコの禁断症状のピークもこの頃だった気がします。

2〜3日めにかけては、吸いたすぎて塀を乗り越えて買いに行こうかとも思いました。笑

結局、禁煙のためには矯正装置ならぬ矯正環境が必要なのかもしれません。

そこに自分の身を置くしかない。

5日めに部屋のトイレ(flush)が正常に流れなくなったため、部屋を移りました。

相変わらず、部屋の衛生環境は劣悪でしたが。笑

旅にでると、とくに東南アジアなどの先進国を訪れると、人々対して閉じこもりがちになってしまいます。

ポン引きや香具師などに対して疑心暗鬼になってしまうのです。みんながみんな自分を騙そうとしているのではないかと。

そういった人に対して悪態をついてしまう。本当は珍しい外国人である自分と純粋にコミュニケーションを取りたいだけなのに。

笑顔で手を振ってくれた子供にさえ、そうゆう態度が真っ先に出てしまう自分を呪いたくもなります。

そんなときに、宮崎辰さんの言葉を思い出しました。宮崎さんはサービス・接客の世界大会で優勝されたサービスマン(メートル・ドテル)です。

NHK プロフェッショナルでこんなことを言っていました。

まずは自分が心を開くこと、するとお客さんもこちらに心を開いてくれる。

接客のアルバイトをしている自分にとっては、ハッとさせられる言葉だったし、接客に関わらず生きていく上でとても有益な言葉だと思います。それこそ旅先でとくに大事なマインドセットではないかと。

そして立花隆さんが『思索紀行』で言っていた

旅の前と旅の後では、その人は同じ人ではありえない。

肌身を持って感じました。

脈絡もなく『思考は現実化する』の小見出しが、頭に間欠泉のようにボコボコ浮かんでくる。

・潜在意識は海面下の王国である

・頭脳は宇宙が宿る小さな器である

・第六感は叡智の殿堂への扉を開く

・強烈な本能を創造的なものへ変換せよ

・失敗も生き物である

・悲しみを通して魂にいたれ

それらの金言を一つ一つ吟味しながら瀉血していく。

その際に今年の初めに読んだ『アルケミスト(Alchemist)』の言葉がふと浮かぶ。

Because people become fascinated with pictures and words, and wind up forgetting the Language of the World. (人は言葉や写真に魅了され、世界のコトバを忘れてしまう)

昼は太陽が照りつけ、汗だくになるのですが、夜はその反動からかとても涼しいんです。

夕涼みが一日の楽しみとなっていったのでした。日本の縁側で、キンキンに冷えたスイカを頬張りながら、なんて想像しながら。

ずっと瞑想をしていると、常に坐禅を組んでいるわけで膝が痛み始めます。

それに瞑想は何もしていないようでかなりの体力を消耗します。ナルトのチャクラ、ハンターハンターの"絶"のようなイメージでしょうか。笑

あまりにも芒洋とした時間の中で時系列に囚われずランダムな記憶が四方八方から飛んできます、自分の貧弱なプロセッサーじゃ処理できないスピードで。

一番酷かったのは、ハワイで一時期ずっと流れていた「街を歩いてる青い目金髪 あり金いただきお釣りは病気 声をかけてきたらさっさと逃げよう 娼婦の ようでもホントは泥棒 安全対策自分の責任 ココは日本じゃないんだからぁ♪」という防犯注意喚起のビデオの音楽のサブリミナルが脳内で始まったとき。笑

だから、ベッドに着くなり、すぐに寝付けます。

「瞑想」に関して、小林秀雄さんが『考えるヒント』でこんなことを言っていた。

瞑想という言葉があるが、もう古びてしまって、殆ど誰も使わないようになった。言うまでもなく瞑とは目を閉じる事で、今日のように事実と行動とが、ひどく尊重されるようになれば、目をつぶって、考え込むというような事は、軽視されるのみならず、間違った事と考えられるのが当然だろう。しかし、考え詰めるというの必要が無くなったわけではあるまいし、考え詰めれば、考えは必然的に瞑想と呼んでいい形を取らざるを得ない傾向がある事にも変わりはあるまい。事実や行動にかまけていては、独創も発見もないであろう。そういう不思議な人間的条件は変更を許さないもののように思われる。

講話や説法のなかで幾度も出てくる「涅槃」「煩悩」「解脱」「彼岸」という仏教用語の数々。

小学校時代にハマったRPGツクールの「涅槃」という作品を思い出す。あれは秀作だった。

この日の説法の最後にインストラクター(勝手に"総帥"と呼んでいる)が残した言葉。

Don't be afraid of the feeling, just observe it. (感情を怖れないこと、ただ観察すること)

こうして分水嶺であった3日目を越え 、谷のような4日目を越え、5日目。

稲妻の轟音で目を覚ましたのでした。

#⑥へつづきます...。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。