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インド修業から、東大に受かるまで

気づいたら、"生"を授かり」産み落とされていた。

釈尊が悟りをひらいたとされるインド北東の辺鄙な町の、隅にある静謐な場所で、繰る日も座禅を組み、目を閉じて、瞑想を続ける。

飢渇は3日ほどで止む。

きっと、これまでの22年間でいちばん、自分自身と"対話"ができた、特別な時間。

秒針は東京にいたときよりも、いくぶんゆっくりと時を刻んだ。

たぶん、これまでは自分自身に耳を傾けることさえしていなかったのかもしれない。

修行を終えたとき、断食にちかい生活をしていたせいもあってか、げっそり体重も落ちていた。(おそらく10kgくらい?)

こうなることは日本を発つ前から予見していたから、インドへ来る二ヶ月前くらいからジムで有酸素、無酸素バランスよくワークアウトして、体を鍛えていた、つもりだった。

やっぱり理は実をとらえきれなくて、ぐったり体は弱りきってた。

修行の間は持ちモノをすべて没収されていたこともあって、日記を書くことも、本を読むこともできなかった。

修行が終わった翌朝、忘れたくないことだけ、とりあえずメモに残しておこうとペンを取る。

堰き止められていたダムのように、言葉が濁流に乗って横溢してくる。

滾々と湧出してくる断想を書き起こす。

"Lonely Planet"をパラパラ読みながら、これからのルートを策定する。

ふさふらした足取りで、無数のヒトやウシ、サルなどの生き物が行き交うバラナシの喧騒をかき分けて、チャイをすすりながら、朝焼けが水面を照らし、ファジーネーブルに染まるガンジーを目指した。

死体の饐えた臭いが鼻をつんざく。

手漕ぎボートの値段交渉をするのさえ煩わしくなって、すぐに首を縦にふった。

薄く霧がかった風景、目をこすりながら、ひとびとの様子を眺めた。

洗濯板に全力で衣服を叩きつけながら、ガンジス河を流れる水で洗濯する婦人たち。

身体を洗ったり、うがいしたりする少年たち。

"良い物"ばかり食べてる日本人が同じことをしたら、きっと3秒後にはお腹をかかえて倒れてる。

僕もそんな日本人の一人として、"気づいたら、産み落とされていた"。

アグラへ向かう列車のなか。

ハシシや糞尿が混ざり合った汚臭、牛糞が地面にこびり付き、猿がゴミ箱を漁り、クラクションが鳴り止まない道路、フルーツに勢いよく水を投げつけてる露天商。

インドのケオティックな街並みがつぎつぎと頭に想起される。

読んでいたジャック・ケルアックの『On the Road』を脇において、生々流転に思いを巡らせることにする。

どこにいたって、フェイスブックで、見えない鎖で繋がってる。

たえず、SNSで流れてくる、新卒で会社に入った同級生たちの日々の雑感。

「うおー!華金だー!!」

「先輩、仕事できすぎ!自分も頑張る!」

などなど、滔々と、束のように。

きっといつの時代も同じことを、同じように繰り返してきた。

なにか一つの方向性があって、引っ張られるように、収斂していく。

人生は一度きりであり、われわれの決定のどれがよくどれが悪いかを決められない理由は、ある状況でわれわれがたった一度の決定しかできない点にある。

われわれは個人的決定について比較するための第二、第三の、あるいは第四の人生を与えられていない。

この点において歴史は個人の人生に似通っている

ってどこかで出会ったコトバが頭をスパークした。

「"運命"と"偶然"の間」の違いにある"偶有性"に思いを馳せたり、世の中には「種を蒔く人」と「実を摘み取る人」の二通りしかないんじゃないかとぼんやり思ったり、普段は深く考えないこと。

じゃあ、自分はどちらの途に歩をすすめるのか。

思索の扉をひとつ、ひとつノックしていく。

点がやがて線となり、線は円に。ぐるぐる回る円環。

地平の向こうの朧げな稜線を眺望しながら、とめどなく思量する。

痛みや苦しみは一瞬で、永劫つづくものはない圧倒的な"刹那"のうちに、"気づいたら、産み落とされていた"。

氾濫する情報。追っているようで、じつは追われている。

ハイデガーが言っていた「情報は命令である」という言葉と、アイスランドの牧草地帯で羊の群れを追いかけていたインターネットの"イ"の字も知らないであろう青年の純朴な笑顔。

大学をでて、就職もせずにインドでぶらついている自分。

かくかくしかじか、かくあるべきだという風説。

なんとなく醸成される規範の「レール」。

ノイズをシャットオフして、ただ自分と、これからのことを考えてみたかった。

たぶん圧倒的な"孤絶"の中に潜っていかないことには、ほんとうの自分と話すことはムズかしい。

なにごともトレードオフなのだ。

あまりにも多すぎて、見えにくくなっていること。

「すべてを投げ捨てて、それでも残るもの」をみきわめること。

旅情に浸りながらも、それだけは忘れないように、インドでの時間を過ごした。

とある寺院を訪れた。

石段をあがっていく途中で、物乞いの男性に出くわした。

下半身がなく、上体も半身が腐敗し、ハエがたかっていた。

身体をひきずりながら、僕のところへ駆け寄ってきて、必死の形相で喜捨をせがんでくる。

あまりの迫力に、後退りしてしまう。

飽食の日本。

毎年、自ら命を断つ人が3万人、いるという。

半身が腐っていても、日々が絶望的でも、それでも必死に"生"にしがみつこうと、食らいついているおじさんをみて、考えざるをえなかった。

きっと、おじさんだって、インド人、日本人と僕らを隔てるものはあるけど、"気づいたら、産み落とされていた"この世界の中で、一瞬のちっぽけな存在にすぎない。

ある人の目からみて、彼は僕の100倍くらい不幸だとしても、僕は彼より100倍ハッピーだとは思わない。

あっという間に過ぎていく時間、一度きりの時間。

ある日、突然、気づいたら、呼吸をしていて、周りに導かれるがままに、新しいものに出会っていく。

だけど、みんな同じ。

訳知り顔で「こうしなさい」「ああしなさい」と諭してくるヒトも、僕と同じ"気づいたら、産み落とされていた"一人にすぎない。

そう、比べるためのもう一つの人生がもう一つあるわけじゃないから、みんななにかを頼りにしたい。

インドで目にしたもの、出会った人、なによりも修行を通して、自分自身と対話をして発見できたこと。

思うところあって、来年の4月から、東大に行くことにしました。

インドから日本に帰っては、それこそ脇目もふらずに勉強しました。

なにかを得ようとすれば、なにかを犠牲にしなければいけないのだと思う。

イマの自分は過去の自分に生かされているように、未来の自分はイマの自分に生かされている。

インドで時間を過ごしてから、こんな当たり前のことに気づいた。

「なりたい自分を描くこと」そこからイマの自分をみて、それに向けて行動する。

きっとインドで修行をしなければ、東大に行けなかったと思う。

って話をすると笑われるんですけど、本当にそう思うんですよ。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。