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灼熱のブラジルで迎えた、人生最悪の年越し/後編(2016年12月)

2016年末、世界最大規模の年越しイベントに参加するため、僕は灼熱のブラジル、リオ・デ・ジャネイロにやってきました。200万人もの人が、真っ白な服を着て、ビーチに集まります。しかし、そこで待っていた年越しは、世界最大でありましたが、世界最悪の年越しでもあったのです―――

▶︎前編はコチラ



サンパウロから来たブラジル人家族

 22時過ぎ、年越しまではあと2時間です。ビーチ沿いの道では音楽を演奏している人がいたり、お酒を飲んでいる人がいたりと、それぞれが思い思いの時間を過ごしながら、年越しに向けて仲間たちで盛り上がっています。

 僕も仲間たちと盛り上がりたいところですが、一人旅なのでそれはできません。だったら、一番いい場所で年越しの花火を見てやろう。そう思い、波打ち際に陣取って年越しを待つことにしました。


 日中は40℃を超えるブラジルですから、夜になっても暑苦しさは続きます。海水も一日中暖かいです。その日は雲一つない夜空で月が輝いていたことから、22時を過ぎても波打ち際で、水着で海に入りながら遊ぶカップルや子どもたちもたくさんいました。

 僕は、一緒に波打ち際で水をかけ合う友人がいるわけでもないので、温かくそれを見守り、波打ち際から10mくらい離れた場所に座ることにしました。その辺りにも、僕と同じように座ってカウントダウンに備えている人もいて、まだ年越しまで時間もあることから、のんびりとした時間が流れていました。僕もスマホを見ながら、時々、月や星を眺めては、カウントダウンに備えて待っていました。

▼だんだんビーチは、人で埋め尽くされてくる。


 15分くらいしたころでしょうか。僕の隣に3人組のブラジル人家族がやって来ました。名前はガスマオ一家。母と息子と息子のフィアンセの3人で、サンパウロからこのコパカバーナビーチへカウントダウンの花火を見るためにやってきた観光客でした。僕がアジア人で、かつ、一人で砂浜にいて珍しかったことから、いろいろと話しかけてくれ、飲み物やお菓子もプレゼントしてくれて、気がついたら仲良くなっていました。


次々と襲いかかる小さな窃盗団

 22時30分過ぎ。僕が砂浜に到着してから30分が経った頃、僕の周りにも徐々に人が増えてきて、だいぶ賑やかになってきました。そのさまは日本の花火大会そっくり。始まる前からたくさんの人たちが場所取りをして、宴会を始めたりしています。


 みんなが新しい年を心待ちにしていて、そこいる人の顔はみんな笑顔で溢れています。そんなハッピーな空間で、ついに、事件が起こります。


「キャーーー!」


 突然、波打ち際のほうから聞こえる女性の叫び声が。

 その声は、僕の右斜め前方の先のほうから聞こえます。そして、その空気を一瞬で凍りつかせた悲鳴は、その声だけでは終わらなかったのです。

「ノォーーー!」

「ウォーーー!」

「ギャーーー!」

 女性の悲鳴も増え、さらには男性の罵声も聞こえてきます。加えて、その声の主がだんだんと増えてきて、ついには僕の近くまで迫ってくるではありませんか。

 恐る恐るその声のほうに目を向けて見ると……そこいたのは、なんと、子どもだらけの窃盗団でした。

 大量の子どもたちが砂浜の向こうから全力で走ってきて、波打ち際で楽しんでいた人たちの持っていた物を片っ端から奪い取っていったのです。その子どもたちの数、ざっと見ただけでも30人以上。奪い取る物もスマートフォンはもちろん、食べ物や帽子、さらにはカバンまで、波打ち際にいた人たちの手に持っていた物を、何から何まで奪い取っていきます。

 その子どもたちが年越しカウントダウン目当てではないのは、一目瞭然。砂浜に年越し花火を見に来ている人たちとは違い、その子どもたちは白色ではないボロボロのTシャツや短パンを履いていて、明らかに年越しイベントに来ている人ではありませんでした。

 その小さな大群が目の前を全力で通り過ぎていく間、僕は持っていた小さなリュックをお腹に抱えて、ただただじっとしているしかありませんでした。


救世主・セコムさん降臨

 本当にあっという間の出来事でした。

 子どもたちの大群が目の前を駆け抜けていき、観光客の持ち物を片っ端から奪い取っていく。信じられない光景でした。奪い取られた観光客は泣きながら道路のほうへ戻っていきます。きっと「最悪の年越し」と思っていることでしょう。


 このビーチの治安が悪化していることには、ビーチが広いということも大きく影響しています。最初に述べたように、道路には軍隊や警官が警備にあたっていますが、砂浜にはさすがの警察も入ってきません。しかも、夜になって潮が引いてきて、砂浜がどんどん広がっていき、もうこの時間になると、警察がいる道路から波打際はほとんど見えないのです。

 そんな警察の目を盗んだ子どもたちの"完全犯罪"でした。


 その窃盗団が完全に通り過ぎた頃、隣にいたブラジル人一家の母が話しかけてきました。

「アー・ユー・オーケー?」

「オーケー……。しかし、こんなに街の中心でこの規模の窃盗が起きるんですね……」

「そう。こればかりは仕方がない。貧しい子どもたちはこうやってしか生きていけないからね……」

 そうなのか。

 僕は今、地球の裏側でとんでもない社会の歪みを見てしまっているようです。同時に、また来るかもしれない小さな窃盗団のことを考えると、今までの旅で初めて不安な気持ちに襲われました。このままここにいても、僕は無事帰ることができるのだろうか……。


 そんな気持ちの僕を救ったのは、ブラジル人一家の母でした。

「でも大丈夫。私たちにとっては日常茶飯事なので、いつ子どもたちが戻ってきてまた窃盗をするかはわかる。子どもたちが来たら教えてあげるから、安心しなさい」

 ここでまさかの、神降臨。

 それから、そのブラジル人一家の母のことを、最上級の敬意と感謝を込めて「セコム」さんと呼ぶことにしました。

▼ガスマオ一家。一番左側が、セコムさん。



 すると案の定、先ほどの衝撃の光景から30分もしないうちに、子ども窃盗団が今度は反対側からやってきました(というか戻ってきました)。またしても全力疾走でこちらに向かってきて、波打ち際で戯れている人たちに襲いかかります。

 一度目の事件から少し時間が空いたので、波打ち際にいる人たちはその前の事件を知らない人たちがほとんどでした。

 愕然としてその状況を見ていると、そんな僕の様子を察したセコムさんから、

「来たわよ!」

と目の覚めるような一言で、持ち物の確保を指示されました。

「はい、かしこまりました!」

 とっさに僕もカバンを胸に抱えて隠します。

 さすが、セコムさん。到着時間も正確です。


歓声と悲鳴が入り乱れる、狂気のフィナーレ

 そんなやりとりが20分に1回は発生します。子どもたちは行ったり来たりと、砂浜を縦横無尽に駆け巡ります。それに翻弄される大人たち。〝地獄絵図〟としかいいようがありません。

 極めつけだったのは、0時の年越しの瞬間。

「3、2、1、ハッピーニューイヤー」

 年越しと同時に、目の前の海上から大きな花火が何発も打ち上がりました。

 後方の道路からは歓声が聞こえます。シャンパンで乾杯しているグループもたくさん見かけます。しかし、僕の目の前に広がっている光景は、またしても子ども窃盗団とそれに襲われる人々でした。

 そうやって僕は、花火の打ち上がる音、それを見て沸き上がる人たちの歓声、そしてそんなことお構いなく窃盗の被害に遭う人の悲鳴という、3つのまったく異なる音に包まれながら、そしてセコムさんに助けてもらいながら、僕の2017年は幕を開けたのでした。

 ありがとう、セコムさん。

 地球の裏側、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナビーチでの世界最悪のカウントダウンは、セコムさんのおかげでなんとか無傷でホテルに戻ることができました。

 そして翌朝、僕は空港へ向かい、帰国。3か月の「働きながら世界一周」を終えたのでした。


(完)

こんにちは、リーマントラベラーの東松です。サポートいただいたお気持ちは、次の旅行の費用にさせていただきます。現地での新しい発見を、また皆様にお届けできればなぁと思っております!