帰路

日本人として生きるために(分かりやすい儒学講座) 「知性と感性」

「我が道を行く」

 現在の日本の社会的風潮として、ネトウヨ、ヘイトスピーチなどイデオロギー的な側面での激しい対立が見られます。ネット上では毎日のように一方的に攻撃する書き込みを目にしますし、最近では安保法制を巡ってデモも行われています。こうした国内での対立構図は、今まで過去に何度か繰り返されてきたことです。その最たるものは幕末でした。恐らく、そうした対立構図は意図的に作り出された可能性があるのですが、こうした対立構図は突き詰めるところ一人の人間の問題であり、脳科学、陽明学の観点で分析してみる「感性」と「知性」の問題になると思います。ここではどちらに比重があるか、ということでその人々の事を「感性派」と「知性派」と呼ぶことにします。

感性派は人間の本質的なものを優先します。勝ち負けではなく美学を追求する姿勢、例えば「敵に塩を送る」行為、勝ち負けは仕方がないことですが、敗者へのいたわりの姿勢をしめします。近年、外国出身の横綱が勝った時にガッツポーズをしたことが問題視されましたが、国技である相撲にとっては相手に対する礼を欠いたありえない行為です。武道全般に言えることですが、敗者に対するいたわりはその後の争いを生じさせない知恵だと思います。それに対して、知性派は勝ち負けをはっきりさせてしまいますから、自己を正当化するために他者を敗者にするために攻撃の対象にしやすいのです。感性派は、人間性を最優先するので、他者を赦し、愛し、痛みを共有しようとします。

 この両者の対立を解消するにはどうすればよいのでしょうか。『大学』には「修身・斎家・治國・平天下」とありますが、全体の問題は個人の問題に帰結します。対立の問題、それは一人の人間から出てくる問題であり、その人が感性と知性のバランスをどうとるかの問題なのです。

ヘイトスピーチと呼ばれている人たちへの関心は、そのイデオロギーよりも彼らの心のあり方であり、幼少期においてどういう育ち方をしてきたのかに興味があるのです。一方的に相手を攻撃している彼らを見ていると、他者に対する思いやりの心が完全に塞がれているようです。自分で考えて、事の是非を判断し、批判すること自体は決して悪いことではありませんし、ヘイトスピーチの内容全てを否定するわけではありませんが、初めはカリスマ的な人の意見に関心を持っていただけなのに、それが何時しか周りの人々とも歩調を合わせ、自分の考えを持たないロボットのような存在になっています。そこには人にとって一番大切な自意識(心の働き)の働きが見出されにくいのです。同じヘイトスピーチのグループに属する人でも違う意見があって当然なのですが、少数の意見は撲殺されるのでしょう。

感性派の生き方は、自立性、自意識が中心ですから、自分が納得しないと行動に移らない、妥協しません。結果をすぐに求める知性派の多い現代社会では、ある意味、感性派は損な生き方を強いられますが、敢えて損な生き方を選ぶのが、感性派です。

感性に重きを置く陽明学は、これを実践に活かしていこうとする人にとっては貧乏くじを引くことが多いかもしれません。もっと要領のいい生き方を、と周囲から思われるかもしれません。しかし、その生き方の中にこそ日本人が古来より大切にしてきた美学があるのです。美学の真髄は、他者との違いです。例えば、どんなに美しい花でも、みんなが同じ色で同じ形だったら魅力がありませんし、その花自体も周りの花の存在すらも消してしまいます。同じ赤でも若干色合いが違う、違いがあるからこそ美しいと感じます。それと同じで。「我が道を行く」姿勢は、美しいのです。現代社会は、その人との違い、美しさを抹殺し画一化の方向に流れていて、私たちの「らしさ」を醸し出す美学を忘れているのです。

「我が道を行く」ことを我儘だと批判する人がいますが、この両者は明確に違います。我儘とは、私欲に囚われ過ぎて、どちらかというと過去に「こだわる」状態です。自分の過去の栄光や「俺はできるんだ」と過去の自分に引きずられ、しがみついている状態です。それに対して、「我が道を行く」姿勢は、過去の自分を振り切って、後ろを振り向かずに前に進むことなのです。過去にこだわらす、道を切り開いていく姿勢は美しいものです。ここで言う、「我が」の「我」こそが心の本体(良知)なのです。自分が持っている良知のままに前に進むべきです。


感性を呼び覚ます


右翼、左翼と言われている人々のイデオロギー論争は知性の戦いであり、何時になっても比較の問題でありその収束を計ることは難しいでしょう。しかし人間の根底に有る感性を蘇らせ、人間の本質に合わせていくことが戦いの収束に繋がると思います。言葉を変えて言うならば、左翼でも右翼でもない「仲よく(中翼)」なのです。福岡に縁のある仙厓和尚の詩はその事を見事に表しています「よし(葦、良)、あし(葦、悪)の中を流れて清水かな」(仙厓和尚)

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