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日本人として生きるために(分かりやすい儒学講座)その④テーマ 「中庸」

テーマ 「中庸」

「中庸」にいう自然の境地

 脳の中で、この感性と知性の働きの比重が大切になってくるのですが、人は感性が主となって知性を働かせていくこと、このバランスが最も重要になってきます。「義を先にすれば、後に利は栄え、富を好(よし)とし、その徳を施せ」と言うように日本の商人たちは「商い」をする上でもっと大切なのは損得の知性ではなく、「仁義礼智信」の感性だと言っています。儒教では心の本来的状態を「中庸」と言いますが、それはまさしく感性と知性のバランスが取れている状態なのです。

感性と知性のバランスが取れた「中庸」にある心の状態が、「良知」です。

「良知」とは陽明学では人に限って言えば心の本体であり、日本では古来から御霊、孟子は不動心、キリスト教では内なる神、仏教では仏性…という表現がなされています。この「良知」すなわち心の本体は変化する環境に対して反応してしまう自分自身を冷静に見つめる目でもあります。いわゆる自分の心の中にある主体性、自律性を通して「良知」を見出せます。

私たちが主体性、自立性を確立するには、他人に依存しない精神活動が必要で、例えば自分の頭で考え、借り物ではなく自分の言葉で話すこと、行動に対する責任は自分が取るなど、日頃からの私たちのものの見方、考え方が重要になってくるのです。その心の本体を見出すために考え行動することを陽明学では、「致良知」(ちりょうち)と言います。

 そういう意味では、現代という時代は情報に流され、知性に比重を置きすぎて、感性が十分に発揮できない主客逆転しやすい環境になっているので、心の本体を見いだせず、自分を見失ってしまう(放心)結果になるのです。これから先、どんどん物質的豊かさは進むでしょう・・、そのような中で環境に勝る心の豊かさ、心の主体性をどう持てるかが人類にとって非常に大切な課題になってきます。

 

広瀬淡窓と大塩平八郎

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