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日本人として生きるために(分かりやすい儒学講座)その⑤テーマ 「敬天思想」

テーマ 「敬天思想」

「私は心の病を抱えています」という人たち

このところ、三十から四十歳代の若い経営者から、私は「アスペルガー症候群」なのでは?・・・上司の「モラルハラスメント」がヒドイなどの相談が多く寄せられます。ここでアスペルガー症候群とは、脳の障害の一つと言われておりますが、例えば周りがどんなに忙しくしていてもそのことに気付かず、一人だけ先に帰ってしまうなど物事の優先順位を決められなかったり、次の行動になかなか移れない。一度興味を持ったものに対して異常に固執してしまうなど、一種の発達障害と言われています。

お話を聞いてみると共通しているのが、幼い頃に親から躾という名の、その実は自分のエゴを隠れ蓑にした体罰を受け、自分を否定されて育ち、更に本来であるならば、その時自分を受け止めるはずの母親の存在が薄いのです。また行動パターンは、自分を正当化するために平気で噓をつき、他人を平気で落とし入れ、自分の立場が悪くなると、全て相手のせいにします。こうした人たちが、そのまま大人になって、様々な仕事のリーダーになってしまっているのが現実です。

 ここで最近、相談を受けたものの一つをご紹介します。これはある経営者が主宰するビジネスセミナーにこのまま参加していていいだろうか、という内容のものでした。そのセミナーは、いわゆる成功セミナーの類で、「自分を前面に出して、主張せよ」という俗に言うポジティブシンキングをベースにした内容です。相談に来た彼らに共通していることは、最初のうちは夢と理想を語り、正しいと思ってやる気満々で実践していたのですが、無理を重ねてポジティブに振舞っている間にこれでいいのだろうか、と次第に自分の心の中にある矛盾が大きくなり、葛藤に苦しんでいるのです。

 人は「自分を出すこと」と「自分を抑えること」のバランスが重要なのですが、ポジティブ一辺倒ではいずれ心が壊れていきます。相談に来た人たちは、その矛盾に悩み、そのままそのセミナーに参加していればうまくいくのでは、という執着を乗り越えて、つまり古い自分の殻から抜け出そうとしていうのですから、「まともな」人たちと言っていいでしょう。陽明学的に言えば、自分が生まれ持っている「良知」の働きは、どんなに自分を偽っても最後は自分を誤魔化せないのです。

未来にある大きな仕事をやるために、むしろ目の前の失敗が必要なのに無理して上手く繕い、せっかく自分を知るための機会を逃してしまうのです。

自分を誤魔化さない生き方を目指すのが、人間本来の生き方なのですが、現代社会では非常に困難になっています。自己の願望の肥大化による、行き過ぎた権利意識、拝金主義などの現代社会の病理の中では、「自分を誤魔化して生きる」人があまりにも多くなってしまいました。

社会の発展に人々の心の成長がついていかなく心と体のバランスが著しく崩れています。人は病にかかっても体は本来の状態に戻ろうとする治癒力が備わっているように、私たちの病んだ心も本来戻るべき位置(良知)に戻ろうとしているのです。

 明治以降表面的繁栄、幸福を求めてきた日本社会の風潮は様々な弊害をもたらしています。私の元に相談に来ている人たちが、成功を勝ち得るため「自分を誤魔化して生きる」ことに悩み、疲れ果てている例は行き過ぎからの揺り戻しの前兆が起こってきているのだと思います。

 明治維新から日本が欧米化の殻を被って、わずか百五十年しか経っていません。日本人は、江戸時代までは和の文化で生きてきたわけで、その歴史の長さに比べれば、たかが百五十年なのです。その日本だけの和風も、飛鳥白鳳時代から中国からの漢字、学問などの文明が入ってきたものを、吸収し日本独自の文化として昇華させたものです。つまり、日本で言う純和風は、日本列島に入ってきた異文化を咀嚼し、自分の血肉に変えて醸成された文化だと言えます。ですから維新以後、一気に流入してきた西洋文明は、それまでの日本での家族のあり方や教育など素晴らしい伝統を蝕んで日本の文化を崩壊さているように映りますが、しかし日本人が“和”をもって生きてきた歴史の長さを考えれば、そう簡単に消えるはずがなく、必ず揺り戻しや、西洋と和の文化を融合した新しい流れへと動いてくることでしょう。

西郷さんの「敬天愛人」

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