「英語化は愚民化」著者 施光恒九大大学院准教授の「日本の真の独立とは」 第6講 理想的有権者像とは

 

行き過ぎた啓蒙主義


今年六月十六日、七十年ぶりに公職選挙法改正が成立しました。これにより、選挙権年齢が「二十歳以上」から「十八歳以上」に引き下げられ、来夏の参院選から十八歳以上が有権者になります。この改正によって、高校三年生も有権者になり、「制服を着て、校則に縛られる有権者」が出現することになりました。つまり、高校二年生までに「よき有権者」を育成することになったのです。しかし、学校現場では戸惑いの声が聞かれます。それまで学校という教育の場は、政治的中立性が強調されていて、政治に関する教育が行いにくかったからです。そのため、有権者教育の必要性は分かっていても、「『有権者教育』『主権者教育』として何をすべきか、抽象的でよく分からない」、「どこまで踏み込んでいいか、分かりにくい」などの戸惑いの声が挙がっているようです。

政府もこういう事態をある程度、予測していたようで、平成23年に、総務省管轄下の「常時啓発事業のあり方等研究会」が、「社会に参加し、自ら考え、自ら判断する主権者を目指して--新たなステージ『主権者教育』へ」という報告書をまとめています。これは、90年代後半から有権者教育に力を入れているイギリスを見本にしています。イギリスの有権者教育は、政治学者のバーナード・クリックが提唱しているレポートを元に進めていて、2002年には中等教育で「シティズンシップ」を必修科目にしています。この目的は「アクティヴ・シティズン」(能動的市民)を育成しようというものです。

 この能動的市民のイメージは、よき有権者とはいわば政治上の合理的選択者だと言えます。「自分たちの権利や利害を主張し、他者と議論を交わし、積極的に政治に参加し、社会を合理的に変革する人々」と定義できるでしょう。この市民像はまさに西洋近代的で、啓蒙主義的なものなのです。啓蒙主義とは、人間の知性や理性を信頼し、人間の知性が社会や文化、国家を作ったと見る考えで、社会や国家は、個人の利益を守るためにあるとしています。国家や社会はあくまでも手段なのです。啓蒙主義が言う「よき有権者」とは、社会、国家を自分の利益のために合理的によい道具として作り変えていける人間像だといってもいいかもしれません。

しかし啓蒙主義は、あくまでも西洋の政治思想の一面に過ぎません。一方では、保守主義という側面が厳然としてあります。

 保守主義とは、啓蒙主義とは全く逆で、人間の知性や理性をあまり信頼していません。人間の知性が社会を作ったのではなく、知性こそが社会や特定の国の文化の中で発展してきたという考え方です。

文化を言語になぞらえれば、分かりやすいと思います。言語とは、今に生きる我々が発明したものではなく、民族、国家、社会の継続性の中で自然に生まれてきたもので、言語が我々を作ったと言ってもいいでしょう。保守主義の見地に立てば、啓蒙主義の理想的な有権者増とは全く違ったものになります。それは「『自分自身は、社会や文化、伝統の継続のお陰を被っている。自分も、それらに貢献していく必要がある』という自覚を持った有権者ということになります。

啓蒙主義がいわば「市民」になることを求めているのに対して、保守主義は公に敬意を払い、それへの貢献にも十分配慮する「公民」であるべきことを求めているといってもいいかもしれません。市民と公民の教育の両輪であるべきです。

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