料理とギターのシノニム。

どうも。連続投稿10日目のリョウです。今日は随分とぐったりしていましたが、体が起きてきたので今日もnote書くよ。

私事ですが、最近母親の家事を手伝うようになりました。今は食器洗いと簡単な料理をやっていますが、その中で色々発見があったので、今日はそれについて書いてみようと思います。

この間味噌汁を作ったときに、「料理はあらゆる感覚を繋げながら作るものだ」ということを感じました。

沸騰するのを目で見てどのくらいの温度なのかを体感して、味噌をどのくらい入れるとどんな味になるのかを想像して、といった具合に料理は視覚・味覚・触覚など様々な感覚器官が鍛えられるものだと思いました。

この感覚どこかで経験したことあるなと思ったのですが、ギターを弾いている時と同じだと後になって感じました。

ギターも料理と同じく手を使うものですが、弾いていると音のバランスや強弱がだんだんと掴めるようになってきまして、それによって感情や情景を表現したり、曲を聴いているときも「あ、ここは一音一音ちゃんと弾いているな」「ここはスライドで音つなげているな」というように弾き方が大体分かるようになってくるんですね。

ピアノと違ってギターは同じ音が出るポイントがいくつかある(といっても場所によって微妙にニュアンスが変わる気もする)ので、どこの音を使うかによって弾きやすさが全く異なる、という性質があります。この辺の見極めも面白いわけです。

料理も曲も完成品として出されると全体として見えてしまいますが、その工程を辿っていくとだんだんと部分が見えるようになり、さらにその面白さというのが見えてくるなあと思いました。

それを知るためには手を使う必要があって、最初は下手くそでも手を使ってやっているうちに、だんだんと感覚が確かなものになって、完成品というものがより鮮明に見えるようになってくる。

というわけで、普段から手を使うことでものの見え方というのは随分変わって見えるんじゃないかなあということを今日は考えました。

微妙にまとまってない感じもしますが、まあこんな日もあるよねってことで。それではまた明日会いましょう。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?