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ありがとう

どうしても残しておきたい言葉と
君の歴史の一部を

バイト先で馬鹿騒ぎしてた仲間達と
繋がってった、その中の君に出会って
歌上手いじゃん??って意気投合して
狂ったように毎日のように夜集まってカラオケ行って

大して上手くもないのにみんなで褒め合って
コーラスグループ作ろうぜ!!って
2002年、勢いだけでステージに立とうって

なかなか難しくて4人組からあっという間に2人組になっちまったけど

2日に1回は会って曲作って
泊まり込んで仕事行って、曲作ってはリハスタ行って何度も歌った

必死で音楽に没頭するあまり、地元の友達とも遊ばなくなって、それまでの人に言えないような悪い遊びも自然としなくなった

あの頃のクズみたいなオレを音楽が変えてくれたと言っても過言ではないと思ってる

北海道にR&Bというジャンルの歌い手が居なかったからすぐ目立つようになって色んなジャンルのイベントに呼ばれて、ピークは月13本とか出た
仕事もしてるから寝ないで必死で歌った

続けてく中で増えていった仲間達ともクリエイティブな事して、前例が無いから色んな事みんなで持ち寄って、0を1にした。

色んな所に呼んでもらって
ギャラなんて全然貰えないけど、たくさん歌って飲んで馬鹿騒ぎした。

2人で金もないのに酒飲みに行っては馬鹿話して
朝まで安酒呑んで、次の日の仕事辛くなってたし

仲間達とも変わらず馬鹿騒ぎした

なんとなくDUOの役割が決まってきて
人付き合いが苦手なオレは
交渉とか打合せとか任せっきりで
歌作る事と歌う事に専念させてもらって
歌下手なくせにカッコつけて色んな事頼って任せちまって

大変だったんだろうなぁ
もっと出来た事あったんだろうなぁ

強くて弱かった君と、もっときちんと話せば良かったかもしれなかった
でもその時はオレも分からなくて

『イベント大きくして、横の繋がり増やして
東京からゲスト呼んで俺たちも逆に呼んでもらって上がっていこうぜ』

『良い歌作って良い歌唄ってればいつかどこかで誰かが見てくれてて、メジャーから声かかるかもしれないし、少しずつお客さんも増えて自然と上がっていけるさ(北海道では本当に未だ難しい夢物語)』

っていう二分化になってって
なんとなく、いつからか2人のウェイトをかける熱量の場所が変わってしまっていって

燃え尽きたかのように
2006年にアルバム"TWO"をリリースして少し経った頃から少しづつ歯車が狂ってって

どんどん2人で作る音楽に対する意識が離れて解散…
そんな記憶があって

ちゃんと話してないから
色んな不満あったのかもしれないしなぁ
解散後も俺以外には愚痴ってたりしたのかなぁ

そんな事も昔みたく酒飲んで馬鹿騒ぎして笑ってラフに話したかったよなぁ

お互い頑固だし
解散してからは疎遠になっちまったけど

共通の音楽仲間が君と同じ職場だったから、なんとなく繋がってて話は聞いてた

とにかく元気でいてくれればそれだけで嬉しかったし

たまに仲間から聞く、家庭を持った話とか子供が産まれた話とか、家買った話きいて素直に嬉しかった

きっと君も仲間づてにオレの話も聞いてたのかもしれない

お互いに子供連れて一緒に遊べたら幸せだったなぁ

長男の名前は龍之介にしようとしてた話で
ウチの息子が龍之介って聞いて名前を諦めた話も聞いたよ

そんなに考えること同じかよって笑えた

こんな形で最後になるなんて思ってなかったから
オレは、のほほんとやってたのに

亮の新しいアルバムに良い曲1曲あるって!
"アイツはああいう曲だけやってれば間違いないんだ"って自慢げに奥さんに言ってたって

今日の葬儀でそれを仲間伝に聞いたよ
どの曲か君の口から直接聞きたかった
でもどれが好きかはなんとなく分かるのは
俺だけだろ

それにしても
アルバム聞いててくれたのかよ

なんだよ

言えよ

意地張ってゴメンて思ってるよ

1番オレの歌を理解して
応援してくれてたのかな…

奥さん、ご両親からも
今も頑張って歌ってるんだもんね
聞いてるよって言われた。

オレの話未だにしてくれてたんだ

なんだよ

会いてえよ

お婆ちゃん想いの君が、1人暮らしのお婆ちゃんを心配して婆ちゃんの家を拠点にしたり
たまに君の実家の2階で毎夜歌作ったり
金ない俺らの為に作ってくれる母さんの作る料理食べながら夢語って、なんならお父さんの身体の事心配してたのに

君が先に逝くのかよ


今にも目開けて話しだしそうな顔してるのに

もう起きないのかよ


家族、子供を残し若くしてこの世を去る事は
君が1番苦しいよな

家庭を持つ身として、考えるだけでオレも胸が苦しい

もちろん残された家族も、君が居ない未来を歩んで行く道は相当苦しい事だろうと思う

葬儀参列中も、初めて見る無邪気に走り回る君ソックリの子供を見て涙止まらんかった

可愛いかったよ本当

俺に出来ることは少ないけど

君と初めてステージに立った時と変わらない想いで今もマイクを握ってる

金が欲しいとか

有名になりたいとか

そんな尺度ではなく

良い音楽を作って

良い歌うたいたい

それが誰かの為になるのなら
叫ぶ意味があるのかもしれない

それが自然と広がっていったら嬉しい
シンプルにそれだけ

遠くまで届かないのは、まだまだオレの音楽が未熟なだけ

才能は無いだろうし
このまま続けてもいいのか葛藤は正直ある

いつか生きてく為に信念を曲げなきゃならない時もあるかもしれない

いつかやりたい事を諦めなきゃならない時が来るかもしれない

声がでなくなるかもしれない

灰になるかもしれない

それでも今を生きてく
それでも今を歌う

オレはオレを見失わない

君が歌上手いって言ってくれたからこのコースを選んで走ったんだ

誰が言った訳でも無い
親が言った訳でも無い

オレが選んだコースだ

だから人生を音に乗せて
誰かの背中を押せるのなら
灰になるまで叫ぶ

その熱量だけは誰にも負けないつもり

大事な人、家族、仕事、音楽
君と共に必死で歩んだ事の延長線上を
死ぬまでやりきる


オレしか知らない君との記憶が
オレの中にはたくさんある

心底楽しかった
たくさん笑った

オレを変えてくれた君と、君が教えてくれたR&Bという音楽に感謝しかない

オレがピアノを断念して、そこからまた何年も経って新たな音楽と出会って人生が変わったように

音楽で誰かの何かを少しでも変えられるのなら
全力で向き合って、全力で叫ぼうと思う


きっとずっと変わらないから

それにしても苦しいなぁ


今のオレに良い歌歌えるかなぁ
泣いてリハ歌えなかったよ


眠れないよ


悔しいなぁ

早すぎる

涙が止まらない


感謝の言葉しか頭に出てこない


もし彼を知ってる方は、今日くらいは思い返してあげてくれるだけでも嬉しいです。



空へ旅立った12月6日は毎年君を思って過ごそう

そっちで安酒持って待っとけ

君を忘れない

享年41歳
兼佐 公大(KIMI from Amazing)


ありがとう

お疲れ様
どうか、どうか安らかに

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