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旅をすることで成長してきた(南米うろうろ編①)

これまで旅をして得た経験について、子どもの頃のことや、海外に行くようになってからの経験などを記載してきました。

どちらも僕が言いたかったのは、ぜひ広い世界を見にいってほしいということ。
僕にとって、旅に出た経験多くの学びに繋がり、すべてがソーシャルワーカーとしてのキャリア形成良い影響を与えてくれていると思っているからです。

これまでの記事は以下


さて、今回も旅行記とは違うので細かな旅程とか、出来事を記載するわけでも、写真がふんだんにあるページでもないのですが。

2011年に約1ヶ月間、南米をうろうろとバックパッカーの真似事のようなことをしたことがあって。
その時感じたことや、得た経験などを何回かに分けて書けたらと思いました。
あんまり脈絡ないかもですが。


どういうタイミングで、どんなところに行ったか

前前職の医療機関を退職して、前職の法人への転職が決まっていた時で。
僕としてはそんな安定した空白期間はないしと思い、子どもはまだでしたが奥さんを説得して一人で旅に出させてもらうことにしました。

年齢は32歳。元気ですけど学生のように無茶する年齢でもなかったですが(笑)。


旅程としては大阪から成田~ヒューストン~リマ(ペルー)IN、ブエノスアイレス(アルゼンチン)OUTのオープンジョーの航空券を準備して。
あとは基本すべて現地で調整しての主に陸路での活動を検討していました。

大まかなコースは決めていたのですが、宿とかは特に準備せず、ペルーに到着した日から2泊だけ現地の宿と空港送迎をつけていました(夜到着だったので)。・


結果としての旅程

【ペルー】
リマ→クスコ→マチュピチュ→プーノ→

【ボリビア】
ラパス→ウユニ→

【チリ】
サンペトロ・デ・アタカマ→カラマ→サンティアゴ→プエルト・モン→

【アルゼンチン】
バリローチェ→ペリトモレノ→ウィシュアイア→ブエノスアイレス

【ウルグアイ】
モンテビデオ

みたいな感じで5か国にまたがり、当初行く予定のなかったウルグアイにも足を踏み入れつつ、楽しい1ヶ月を過ごさせてもらいました。


そんな旅の途中での学びなどを書いていきますと。

いろんな生き方(旅の仕方)があるなと思った

南米をバックパック旅行していると、世界中多くの旅人出会いました。

日本人のバックパッカーも多く、日本人宿みたいな日本人が経営していたり、多くの日本人が集まる宿というのが各地にあったりするので、僕もそういったところに滞在していることが多かったです。

そういった旅先の出会いから学ぶことが多かったのと、ホントいろんな旅のスタイル、というか生き方をしている人がいるなと思ったわけです。

そもそも1ヶ月の単位で旅に出るのとかって、普通に日本で生活していればとても長期間の旅というイメージですけど、本気で旅に出ている人たちって、年単位で世界中をまわっている人たちで。
長期間旅に出ている人って、様々な属性の人がいるのですが、学生休学している人や就活のめどがついて気楽に旅に出ている人もいました。それ以外に新婚旅行で仕事を休職して1年間の単位で世界一周している人とか、仕事を辞めて終わりを決めずに(ぱっと見、無目的に)うろうろしている人にも出会いました。

あの、終わりを決めずに旅に出ている人は、こちらが見ていても不安になることがありましたが。
最近でこそ自由な生き方、働き方とか言ってるので、旅をしつつ生活している人とかもたくさんいるのは知っているのですが、そこで出会った人たちはどちらかというとそういうクリエイティブに人生を楽しんでいるタイプの人たちではなかったので。。。自分探しに出たまま迷子になってしまって。。。みたいな。他人事ながら少々不安になった覚えがあります。

なんしか僕は1ヶ月で日本に帰国することが決まっていた「ド短期」パッカーだったので、どちらかというと地に足ついた方の人でしたが、そういう出会った人達をみていて、たくさん学ぶことがありました。

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(クスコで有名な日本人宿)


何事も気の持ちようで変わるという学び

1ヶ月の旅だったので、大きな40リットルのバックパックと、少し小さめな(日常生活だとまあまあ大きい部類の)デイパックを体の前後につけて旅をしていました。
大きなバックに衣類を。小さなデイバックに貴重品、PCやカメラ、パスポートとかそういうのを入れていました。

ちょうどボリビアのウユニの街から、ウユニ塩湖やその周辺の大自然を巡り2泊3日でチリの国境の先、サンペトロ・デ・アタカマまで移動するというツアーがありました。
ラパスからウユニまで移動するバスの中で知り合った日本人夫婦パッカーと一緒にそのツアーに参加していて。僕は途中高山病になって、ホント死んじゃうんじゃないかと思うくらいしんどい時間を過ごしたのですが、チリの国境を越えて標高も下がってきて過ごしやすくなると、ずいぶん気持ちも体調も楽になりリラックスしたのでした。

ところが、そのリラックスが油断に繋がり、ほんとはサンティアゴまで直行の夜行バスに乗るつもりだったのですが、ボリビアとチリの1時間の時差をうっかり忘れていて、バスに乗り遅れるという失態をしてしまいました。
その結果、直行ではなく、カラマという街経由のバスになったのですが。
そのカラマのバス停でバスを待っている途中に荷物を盗まれてしまいまして。

小銭バラマキ泥棒。
ばらばらとベンチに座っている僕の足元に、通りすがりのおじいさんが小銭をばらまいて、一瞬そちらに気を取られた隙に、隣に置いていた衣類の入っていた方のバックパックを取られてしまいました。
前から、そういう手口の泥棒がいると旅行者の間では聞いていて、なのでその小銭バラバラに目がいった瞬間、「あ!これは例のやつだ!」と思ってすぐに振り返ったのですが、もうその時は荷物がなくなっていて。
急いで探したのですが後の祭りでした。
やはり一晩くらいショックを受けましたね。なんかいろいろ後悔したり。

近くの警察署被害届を出しに行ったのですが、人の良さげな警察官の人たちに囲まれて。みんな指差し会話帳とか、スマホの翻訳アプリとかでコミュニケーションとりつつ、保険会社に提出する用の盗難届を作ってくれました。
途中、コミュニケーションがスムーズにいかないので、一人の警察官の人が、そうだそうだと外出して、近所の中華料理屋さんのコック服着た中国人の人を連れてきてくれて。
ほら、しゃべれ、みたいな感じで。

いやいや、言葉つうじひんし、と思いましたし、連れてこられた人も、なんだなんだという顔をしていたのですが。その警察官の人たちの人柄の良さは伝わってきたのと、なかなか僕にとっては笑える経験で、コントでも見ているような気分になり。
荷物を盗まれたショックは大きかったのですが、なかなかできない経験よねと面白く感じてきていました。

もちろんしばらくは気持ちの上で引きずっている部分もあったのですが。
翌日いいお天気の中、リュック一つで身軽になって、でも必要なものは全部そろっているし、むしろずいぶん自由になってきた気がして、あの荷物を取られた経験も悪くないかもと思えるようになっていきました。

状況は変わっていないけど、感じ方次第で出来事はずいぶん違って受け取れるもんだなと思ったのです。

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(事件現場wのカラマのバスターミナル)


ちょっと長くなってきたので、ここまでにして。
続きはまた今度。
ありがとうございます。


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