見出し画像

ラベリングされる側に回って気づいたこと

ソーシャルワーカーとして主に精神障害者の方の支援にかかわってきた経験から、社会の側の差別偏見は根深いなと思っていますが。そう批判する福祉業界で働く人たちだって、法人格というラベルだけで人を判断しまくっていた過去があり、そういう偏見や差別意識みたいなのはどんな人にでも起こりえることなのかなと思います。
自分自身へ言い聞かせる意味でも、俯瞰して本質的な思考が重要だなと思っています。

ラベリングとは

1 ラベルを貼ること。
2 レッテルを貼って決めつけること。
出典:デジタル大辞泉(小学館)

とネットで調べると出てきます。ある人物や物事に対して、特定の出来事を判断基準とし、「この人は~だ」「あの会社は~だ」など、評価を固定する行為のことです。

精神保健福祉士としてお仕事をしてきて、主に精神障害者の社会復帰や職業リハビリテーションに関わってきました。
そういうお仕事に関わってきておられる方なら、たくさん見聞きしてきたであろう、差別や偏見に対して憤りを感じた経験は僕もたくさんありますし、そのような思いを感じられた当事者の人、周囲の人たちは多いのかなと思っています。

まさしくラベリングですよね。
障害者だからきっとこうだ、とか。
精神障害者だから。。。みたいな。

こういったその人の表面的な属性だけをみて、安易に人を決めつける社会に対して、その偏見や無知に、単純にひどい話だ、と思っていました。


ラベリングされ、批判される経験

2011年まで医療法人の経営する地域の精神科クリニックでソーシャルワーカーをしていました。まあ普通にワーカーをしていたのですが。

ご縁があって、前職の株式会社が運営する就労支援施設に転職したわけです。

僕はどちらの法人でも、基本は精神保健福祉士としてお仕事していましたし、目の前のクライエントのよりよい人生を実現していくために、とお仕事を頑張っていたつもりでした。

職場環境や働き方や社会の中での法人の役割は確かに変化していましたが、僕個人としては何も変わっていないという認識でいました。

でも転職してすぐに衝撃的な経験をすることになりました。



職場の属性が「医療法人」から「株式会社」に変わった瞬間

一部の人たちから露骨に嫌悪感をもって接せられるようになったのです。


初対面の人たちなのに、ふたこと目には

「障害者を金儲けのたねにしてもらったら困る」とか

「あんたたちみたいな存在とは一緒に仕事をしたくない」とか

挨拶しかしてない初対面なのに、よくそんなこと言えるな、と思うような言葉を浴びせかけられることもありました。


それだけでなくて、元から交流のあった、医療法人の時代に一緒にお仕事したり、研修とかで一緒になった人たちの中にも

「よりによって●●(僕の勤めていた会社の名前)に転職するなんてね~」とか

「お金儲けばかりだから、お給料もきっといいんでしょ?(私たちとは)違うからね~」とか


ネットワーク会議に参加したいと申し出たときも

「営利目的の方の参加はちょっと(参加いただけないです)。。。」みたいな


どのように感じて、どう行動したか

僕の中では、働き方も、志も何も変わっていなかったのに、これほど「法人格」という、ある意味表面的なラベルに左右される人たちがいるんだと感心したのを覚えています。


その時感じた感情はなかなか複雑で。普通にショックを受けたというか。

そして、精神障害者への社会の側の差別偏見に対して声高に批判的な意見をしている人が、同じ口でラベリングしている現実に、社会の根深さを感じたわけです。

根深さというか、どちらかというとシンプルなことなのかもしれないと逆に感じました。


「自分たち」と「それ以外」をどんな人でも自然と分けている。

その違いを受け入れず、どちらかというと嫌悪感や攻撃性をもって接する人たちが一定数いているということ。

それは自分の中にもあるだろうし、誰でも持ちうる感情なのかもしれない。

そういう違いを認め合えない、受け入れない社会は閉鎖的で発展性がなく、未来もないのではないか。

やはり多様性を実現していくこが大切。


これらのことを、身をもって感じ、考えたのでした。

そして僕としては、地道に信頼関係を作っていくために、ただ目の前のクライエントのための活動を続け、実際の行動を見てもらうことに注力していきました。


その後の変化、今後もソーシャルアクション

ケースの細かいことは書きませんが、地道に実績をつんできたこと。
これまでと自分の姿勢は何も変えず、自分が正しいと思う姿勢で、誰かに迎合するわけでなく、行動し続けたことを認めてもらえたのか、1年くらい経ったころにはずいぶん空気感も変わってきました。

徐々に名刺を差し出して「株式会社」というだけで毛嫌いされる頻度も少なくなっていきましたし(ゼロにはなりませんでしたが)。

批判的に接してきていた人たちとも交流を再開したり(一部の人は今でも気まずそうにしておられます)。

ネットワーク会議にも混ぜてもらえるようになりました。


だいたいにおいて、自分もそうですけど、知らないものに対する「恐れの気持ち」みたいなのはあって。

医療法人やNPO法人とか社会福祉法人の人たちだけのコミュニティに、どこの誰かもわからない株式会社の人が参入してくることに対して、漠然とした不安や恐れを感じていたのかもしれませんし。

自分だって、逆の立場で見ず知らずの人とコミュニケーションをとるときにはそういう不安な気持ちがあって普通だろうなと思いますし。
(でも初対面で罵倒しないですけどね)。

知ってもらう努力というのは、多様性のある社会を実現していく上で大切なことなのだろうなと思っています。

障害者福祉にかかわる中での啓発活動。ソーシャルアクションでも、まったく同じことが言えるのかも。

今後も、社会に対して(業界内に対しても)、社会を変えるためのアクションを続けていきたいなと思っています。


今日はこれくらいで、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?