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15歳を超えて変わらない感受性と、一生付き合っていく。

*この文章は学術的根拠でなく、様々な幼少期の生い立ちと現在の性格を個人で分析して立てた仮説の1つなので妄信することのないよう。

今日の試合はどうかな?お、勝ってる!

仕事終わり、スポーツナビを開く。贔屓の千葉ロッテの試合経過を確認する。2点リードしていて、少し微笑む。

気付いたら今年で千葉ロッテを応援し始めて10年にもなる。ロッテの勝利が僕の人生に大した影響を及ぼさないのは分かっているし、何で好きなの?と言われても、今となっては「好きだから」以外の理由が見つからない。

気付けば僕の脳はロッテが少し勝つと喜んで、負けると少し萎える。そうプログラムされている。僕にも赤の他人の試合結果でなぜ一喜一憂できるのかは分からないけど、嬉しいものは嬉しいのだ。

ああ、感受性って変わらないんだなって。

1.思春期の感情を忘れることはない

「褒められても全然嬉しくないんだけど」

この世の中には本心からすごいと思って、褒めても響かない人も一定数存在する。そんな人に共通することがあって、

思春期までに褒められた経験が少ない

ということだったりする。この事実から因果関係をたどると、思春期までに褒められた経験が少ない人は、大人になって褒められても嬉しいと感じることができないとなる。

実際、そういうものだと思っていて、

褒められる=嬉しい

を思春期までに家庭でたくさん味わってきた僕の脳は、たとえお世辞でも褒められてたら脳が喜ぶように設計されていた。

「千葉ロッテの勝利=嬉しい」と無条件で認知するとの同じように、お世辞でも脳が喜ぶ設計になっている。

これは心理学の「強化」って概念で説明できて、体験(ロッテの勝利)と感情(嬉しい)が結びつくことよって、無条件でその感情が繰り返されるようになっていく。

感受性が豊かな思春期

思春期は素直だ。色んな感情を知りすぎて、強く心が動くことのなくなった今と比べると、思春期の感性は100倍豊かである。

「応援がカッコいい」程度の理由で応援していた千葉ロッテが勝つと、無邪気に喜んでいて、その時に強化された「千葉ロッテの勝利=嬉しい」ってプログラムが感受性が薄くなった今でも強く脳に焼き付けられている。

つまり、僕たちは、脳が空っぽで感受性の豊かな思春期に感じた感情で、15歳以降の人生を送っていくのである。

何かに打ち込んで、成功した経験を持つ人は、その感情が忘れられなくて、刺激を求めるようになっていく。
好奇心旺盛で、学ぶことの楽しさを知ることができた人は、その感情が忘れられなくて、何かを探究するようになっていく。
たくさんの友人の輪を作ることができた人は、その感情が忘れられなくて、その自身で自信を持って人と関わっていく。
友人ができず、人から認められる経験を味わうことができなかった人は、どれだけ大人になって認められても、自分の価値を信じられず、不安になる。
親から褒められず、自分は馬鹿だと言われて生きてきた人は、どれだけ高学歴になっても、自分のことを頭が悪い人間だと思う。
何かを成し遂げることがなかった人は、達成感を知らないので、努力する動機を保つことができない。


2.人が変わるなんて幻想は捨てよう

こんなnoteを書いて僕が1番伝えたかったことは、「変わらないから諦めろ」ではなくて、

他人と自分が違うことを理解しよう

ってこと。

僕は思春期までに心を許せる友人が存在せず、無邪気に遊んで楽しむことができなかったので「人とわいわい騒いで楽しい」って感情がプログラムされていない。

外交的な人に「絶対楽しいから1度来て欲しい!」と言われて行ってみても、精一杯楽しい振りをするのが精々で、疲弊し、自分の感受性にがっかりすることも多かった。

プログラムされてないものは無理なのだ。

例えばこんな話。

俺は自分のことが好きで人生楽しいけど、周りは自分に自信が持てていない。だから自己肯定感の低い人が自分に自信を持てる社会にしたい。

分かる、分かるんだよ。でも人が変わるってそんな簡単じゃない。むしろ、変わりたくて、変われなくて、比べて、落ち込んで、余計に自己肯定感が下がっちゃう。

そしてプログラムされていない感情を期待されるのが1番しんどい。それはいわば、「人が空を飛べない」ことに関して、期待されては失望されることと同義なのである。

それくらい、15を超えた僕たちの脳は1人1人違う色をしている。その色を理解するだけで、少し世界が優しくなるんじゃないかと思う。


3.自分は、少しずつ変えればいい。

じゃあ、思春期までに良い感情を味わえなかった人の人生はムリゲーなのか。

そんな問いが生まれる。僕の答えはNoで、他人との相対評価で勝つのは難しいかもしれないけど、自分との相対評価で勝つことはできると思っている。

変化でしか喜べない僕たち

日本の受験戦争の中では、開成→東大に行った人が1番すごい。じゃあ、開成から東大に行った人は1番喜んでるのか?多分そうでもない。

きっと当たり前のように東大に受かった人よりも、地方の高校から憧れの国公立に受かった人の方が喜んでると思う。僕たちは変化でしか喜べないからだ。

だから、思春期までの脳は違うけれど、その脳を少しずつ育てていく過程に喜びを見出せばいい。

30歳以降の話は分からないけれど、20代ならば、自分のことが大嫌いだった人が、ちょっと嫌いくらいに変化したり、自分は嫌いのままだけど、楽しいと思えるコトが増えたり、プチ変化なら味わえると思う。

で、誰の感受性にも長所と短所が混在しているはずなので、自分の感受性を理解しながら、無理な目標を立てなければ、少しは生きやすくなる。


やぼうてきな。

こんなにもプログラムが異なる人間が、理解して、肯定し合うのは非常に難しい。そして、肯定されない人は、他人を肯定することもできないので、批判合戦が始まる。

そんな不毛な争いを解決する手段として、先に肯定し合える場を作ることだと思っているのだけど、肯定するか否定するかも脳のプログラムの問題なので、相性が大切になってくる。

①相性がいい人と繋がれる
②互いに自己肯定感が高まる
③相性が良くない人も肯定できる

みたいな世界観が、自分の理想だったりします。そんな人と繋がるためにたまにnoteを書いているし、

将来は色んな人の①を作るサービスを作れたら楽しいだろうなあ(自分も使いたい)と妄想する日曜日でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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