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23歳の僕が健康を大切にする理由。

人生の軸が何なのかと考えると、健康なんじゃないか。って感じる今日この頃。そんなこんなで、ジムとかプールとかヨガとかに行ってみても、同年代の人はほとんどいない訳でして。

もしかして市場価値の高いレア人材なのでは?と1ミリくらい思ってしまったので、健康観について書き殴ってみます。

1.「やりたいこと」を失った日

今まで「やりたいことがない」と悩んだことはあまりなかった。

中学校の時に、スクールカースト最下層で地獄のような日々を送ったり、高校の時に学校教育を疑って独学で勉強法を探究した経験から、自分の軸は持っている方だと思っていた。

就活の時も、「○○な経験をしたから、○○な社会にしたい」のようなテンプレ発言をするのは苦手じゃなかったし、その時は虚言ではなく本心で発言していた。

だけど、社会人になって、薄れていった。

○○できたら、それは嬉しいけど、できなくてもまあ死ぬ訳じゃないしいいか。別に自分1人で出来ることはたかが知れているし、無理してまでやる必要もないか。と。

論理的に、自分が○○したい理由を説明することはできるけど、感情が追い付かなくなってきた。ああ、枯れてしまったんだと。

周りを見渡しても、同じだった。

受験生時代や、就活生時代に、強い想いを話していたけれど、環境が変わって、その想いが薄れていく人をたくさん見ていた。ああ、こんなにも意志って脆いものなのだなと。

(大前提として、何かに熱中していないより、何かに熱中できる方が、楽しいって価値観が僕の中にはあります。勿論、日々美味しいものを食べて、好きな人と過ごすのも素晴らしいと思います)


2.不健康が「やりたいこと」を拒む

人間誰しも、生まれつきの欲は持っている。多くの人は、人の役に立ちたいか否かなら、役に立ちたいし、モテたいか否かなら、モテたいし、美味しいものが食べたいか否かなら、食べたいはず。

でも、モテるために、非常に大変な思いをしなければならないとすると、①でもモテたい②そこまでしてモテなくていい、の2つに分かれるのが人間だと思う。要するに、欲は負の要因によって失われていく。

欲は余裕から生まれる説。

だから欲を持ち続けるためには、余裕を持ち続けることが大切で、そのためには、心身ともに健康であることが必要になってくる。僕の中での健康の定義は下記の2つ。

<心の健康>
ストレスが少なく、日々楽しめている。
<身体の健康>
病気や疲労がなく、エネルギーが溢れている。

この2つが満たされていると、段々自分に物足りなくなってきて、もっと成長したいとか、もっと楽しみたいとか、もっと人の役に立ちたいとかを思うのが人間の性だ。

これに関しては、そんな人類の成長本能のお陰で、人類が生き残ってきたのだから、疑いようもない事実であるように思う。

<健康が脅かされていると>
○○できたら、それは嬉しいけど、できなくてもまあ死ぬ訳じゃないしいいか。別に自分1人で出来ることはたかが知れているし、無理してまでやる必要もないか。
<心身共に健康だと>
まあやらなくてもいいんだけど、やるかやらないかなら、やった方がいいっしょ。あ、やったら楽しいやん。もっとやろ。いやー、人生楽しいっすわ。

多くの人は大体こんな感じなように思う。それなら、熱中できることを探したり、とにかく行動するのも大切だけど、1番大切なのは心身ともに健康であることってのが、最近考えてること。

(健康と聞くと、ストレスの話になるので補足すると、過度なストレスがやばいだけで、適度なストレスは問題ありません)


3.健康なら、性格悪くても優しくなれる

優しさの要素の1つは、自分と他人は違うといった前提の元、どこまで他人を許せるか、だと思っている。

そう考えると、実は優しさも健康に起因することになる。心が健康でなく満たされない時は、つい自分のことしか考えられなくなってしまうし、他人に攻撃的になってしまう。

一方で、心の余裕があると「まあいっか」「相手のことも考えよう」と自然に考えることができる。これもマズローの欲求段階説で説明できる。活躍しているプロスポーツ選手がチャリティー活動を行うのも同様だろう。

誰かに悪口を言ってしまうのも、他人を否定することで、自分が正しいことを確認したいからだし、大体人の惚気話が聞くのが好きな人は、自分の恋愛も充実している人だ。


4.健康的に70%を続ければいい

人間の行動は、やる気よりも健康状態と習慣で決まると思っている。どんなにやる気があっても眠かったら集中できないし、大してやる気がなくても毎日歯磨きをすることはできる。

だったら、特段何かに熱中してなくても、毎日健康で、70%のパフォーマンスを出し続けるって生き方もありなのかなって結論に落ち着きつつある。マラソンだったら、最初から100%の力を出すことはないし、人生もそんな感じでいいのかなって。

それに、たかが70%でも、継続し続ければ、大きな武器になる。特に、社会人になって、何かの目標を持って、その目標の達成のために長い間継続して、行動し続けている人は意外と少ない。

意識高い系のセミナーに行けば、「頑張ります!」みたいな人はたくさん見るけど、1か月も経つと、また日常に戻っている。70%の努力でも、継続し続けられる人は、そんなにいないはずだ。

また、100%自分に期待して、70%の努力しかできず失望し、70%の努力も続かないみたいなケースも往々にして存在するように思う。

そう考えた時に、1つの生き方として、日々健康であることに気を遣い、70%の努力を継続するのが自分のスタイルだと思えた。


5.変化の激しい社会で頼れるのは健康

そもそも、この時代、変化が激しすぎる。いつどんな窮地に自分が立たされてしまうのかなんて分からない。AIに仕事を奪われるかもしれないし、地震が来て家と職場を失うかもしれない。

金は、失う可能性や、価値が暴落する可能性がある。専門スキルも、世の中の変化で価値がなくなる可能性がある。

そんな時、健康体だけは、何事にも代えがたい強力な武器になるはずだ。心身ともに健康ならスキルがなくなっても、それを受け入れて、また勉強すればいいし、家とお金が無くなっても田舎に移住すれば生きていける。

それに、どれだけの資本とスキルを持っていても、健康体でなくなれば、それを発揮することはできなくなってしまう。


6.身近な健康を増やしたい

一度「やりたいこと」を失った僕だけど、そんなこんなで健康に関心を持ち始めてから、こんな感じで生きていけたらいいなって考えを言語化できるようになってきた。

身近な健康を増やしたい

まずは、自分が健康でありたい。日々、集中力高く仕事をしたいし、身近な幸せを感じたいし、美味しい料理を美味しく食べたいし、人の多様性を許せるようになりたいし、よく分かんないけど活力が溢れている状態でありたい。

そのために7割の健康活動は続けていきたい。この年から健康オタクになるのは、ある意味健全じゃない気がするし、できる範囲で長く続けるのが良いのかなと思う。

7時間寝る、寝る前スマホ見ない、早く起きる、悪いものは食べない、ジムに通う、ヨガに通う、旅をする、人と会う、本を読む、ちゃんと仕事する(例外あり)くらいで続けていければいいなと。

健康な組織を

そんでもって、健康な組織を作りたい。みんなで健康食品を食べるとか、そういうのじゃなくて、自分の「やりたいこと」が実現できて、感謝の言葉が多く聞こえて、自分を少しでも好きになれる。

そうやって、健康が増えていけば、やる気なんて勝手に出てくるし、人に貢献したいと思うようになるし、結果的に成果も出るはずだ。


7.生存者バイアス

世の中には、睡眠時間を削ったり、自分に高い精神的負荷をかけたり、常に自己否定を続けることで、成長し続けているすごい人もいる。そういう人と怠惰な自分を比べてしまうこともある。

でもそれって生存者バイアスなのかなとも思う。高い負荷をかけて、物凄い成功を収めた人が存在する裏では、高い負荷をかけても努力が報われなかったり、キャパオーバーで潰れてしまった人たちもいる。

だから、敢えて、無理をしない。健康的に健全な努力を続けていく。そんな生き方だっていいじゃないのかと言い聞かせている。そんな生き方でいつかは、何かを手にしたいものだ。


おわり

色々言ったけど、僕自身がめちゃめちゃ健康で、めちゃめちゃ優しくてとか、そういうのはないので悪しからず。

基本的には23時に寝たいけど、たまには夜更かしするくらいが健康的だと思ってるので、その辺もあまり気になさらず。終電過ぎても飲み続けるのはちょっとどころじゃなくきついけれど。

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