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2019年8月の記事一覧

「たくさんの兵器を操ろうとも、土から離れては生きられない」シータの言葉。ラピュタは飛行石の存在によって形を失わずにいられた。それがパズーたちのおかげによって解き放たれた。いくら人間が力を持とうとも、結局はそこで生きさせてもらっているだけに過ぎない。なぜ争う。いずれ死ぬだけなのに。

過去は過去でしかない。あまり語らないようにしている。今の自分の方が好きだし。だから今しか語らないし、これからもそうするつもり。自分磨きの旅は終わらない。輝いた状態のまま生涯を終えられたらどんなに幸せだろうか。まだまだその道半ばだから、アンテナをもっと増やして電波を出しまくらねば。

「敷居の高いお店」に入ることをためらう自分がいる。本意である不義理をしていないのに、どうしてもお邪魔できない。暖簾の奥で鮮やかな着物を着た女将さんが笑顔で接客をされている。自分との間に突風が吹いているようだった。あの頃の感情を当時の自分に聞いてみたい。どうせ変な答えだろうけど。

自分への投資とただの無駄遣いでは意味が異なる。その経験を自分の糧にして外部に発信するなり、いわゆるアウトプットできるのが投資での成果であって。「あーよかったな」で終わっては勿体ない。自分だけで情報をもてあそんでいても面白くない。大切な情報は置いておいて。それをどうパスできるか。

軸を決めた上で周辺の事象に首を突っ込んでみるのは悪くないと思う。それが自分の為になるし、さらなる飛躍のきっかけになるかもしれない。希望や光が無い無いと言うのは、単にそれを作り出していないだけであって。会社にいたって未来や役職が保証されているわけでもないし、とりあえず半歩出てみる。

実は今さっき「君の名は。」を初視聴した。RADのあのサントラはそういう事だったのかと思いつつ、ただ単に入れ替わっている話だけではなかったのにまず驚き。そして彗星と町。アニメ調に若者をメインで起用する物語の仕組みも好きだなと。明日は天気の子なんだけど、新海先生を生で見れるとは。

最近の流行りは大体が掛け合わせの法則によって成り立っている。どうやら映画もそうみたいだ。天気の子。天気、雨、人柱、勇気。現在進行形で変わっていく世界の形を映画の中でいかに正直に発信するか。世の中の息苦しさを代弁して開放するかのような新海作品の魅力を実際生で拝見して感じました。

眠たくて仕方がない時に、それでも起きていたいという気持ちが働く。起きていることで何かが起こるかもしれないという少しばかりの期待があるのだろう。彼女が来てくれたりテレビで重大発表があったりアーティストのライブの開催が決定したり。要は「別に大丈夫」という体力と自信を持っているからで。

自分理解度選手権をやってみたら、チャンピオンはいったい誰になるのだろうか。結構誰にでも優勝できるチャンスがありそう。他人から見た自分、外から見てみた時の自分、普段何気ない自分が自分だとはそう簡単には気づけない。むしろ受け入れたくないこともあるかもしれない。自分が一番難しいな。

理解をするにはまず自分への受け入れ許可をとらないといけない。その程度は人によって異なるが、どれだけ質の高いものを許可し、それを自分の力にしていくのか、そこが問題だ。そぎ落としそぎ落として如何に鋭利な物で自分の心を貫くことができるか。全部も極端もよくないから、ベストまで研磨して。

また、部屋を掃除した。大学時代にアパートで利用していた物の取捨選択がメイン。一度始めると半日くらいあーでもないこーでもないとか言いながら無理矢理仕上げる。だからしばらくするとまた掃除。これはたぶん治らない。でもいいんだ。キレイになった部屋でフ―っと息を吐き、コーヒーを飲むから。

所有物と過去は見えない糸でつながっている。それを断ち切るには「捨てる」がベスト。と同時に、頭の片隅に置かれていたその物への考えが無くなるから、結果的にスッキリする。要らないと決断した物をまざまざと眺めると、より要らない気持ちが増した。捨てることは無駄じゃない。経験だったんだから。

何でも「しているつもり」になっていた時期があった。0から1に到達しなければいけないのに、0.5で止まっているような感じ。完遂できない。自分のモノにできていなかったからだ。0.5で10を目指すより1で10を目指さなければいけない。これができている人は相当強い。戦略計算は意外と大事。

正解かどうかは自分には分からない。分かったとしてそれは先の話。今自分のしていることを疑っている暇があったら、やり切った後に疑うなり何なりすればいい。途中でやめると癖になって言い訳も増える。自分が自分に課した約束なのだ。それを果たしてから自分に文句の一つでも言ってやればいい。