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いつかの記録

いつかの記録

静けさは時に人の心を落ち着けてくれる。風の音、蝉の鳴き声、生活音、当たり前のように存在しているものたちがすぐ目の前に感じられて既視感を無くしてくれる。

1人でいることは自由が多い。他人のことを考える余計な時間を省くことができるし、自分という存在に対してちゃんと向き合うことができる。もちろん各々の大切な人が居ての話だが。

周りにある誘惑という名の娯楽に縛られることなく、大きな寺にあるような赤いマ

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自分の思うようにいかないことも、気づけば時間の経過と共に進んでいく。嫌でたまらなかったマスクもいつも間にか心地の良い季節になった。不安だからの未来を思い描いていた昨日のような出来事はあっという間にかき消されていく。当たり前が当たり前になっていくように過ぎる時間に期待するしかない。

限られた人々の中でひっそりを自分のやりたい事ができるって凄く勇気がいる。リスクよりも可能性を取って生計を立てていくのは容易じゃないと思うし。ただそれを好きでいてくれる人がいる限りニーズは消えないし、届ける側も多少の柔軟さは持ち続けないといけない。狭い世の中を生きるのは大変だ。

ひと時のチャンスを狙うのもアリだけど、その先の継続性を見極めて動かないといけないんだなと改めて知る結果になった。初めて体験される人だっているはずだから、その人たちのリピート率を上げることに成功すれば売り上げも乗じて安心になるし。後は反省を残して次に活かすことでプロセスは完成する。

1人で生きていくことの大きさは計り知れない。学習で言うなら赤ペン先生が居ないのと同じ。暴走した時に静止してくれる人がいないことだ。腹を割って話せる友人が1人や2人いてくれた方がどんなに心強いか。味方でもあり時には意見してくれる人が側にいないと自分も力を発揮できない気がする。

ここで暮らしていくと決めた時、家族との時間は大切にしなきゃって誓った。喜怒哀楽、その時の家族の表情はあるだろうけど、どれも振り返れば過去の思い出として残っていく。消えたりなんかしないんだ。守られる立場から守る立場になる。時代は変わりゆくものだから。

体裁に囚われる必要なんかなくて、思うままを言葉にして残していけばいい。それが日記だろうがエッセイだろうが詩だろうが、自分が作ったものが形になることに意味がある。何もせずに自分を囚われの身にしていたって時は過ぎていく。今の世の中ってそんなもんよ。正しいと思うならそれを続ければいい。

来たる現実なんぞ気にしていたら、自分のことすらままならなくなる。今はただ、自分にできる最大限の配慮をした上で動けばいい。もちろんTPOを弁えた最適な手段を選び続けることが重要。世の中の動きに敏感すぎるのもどうかと思うから、スマホやテレビから距離を置いて深呼吸をしてみる。

楽しみは1人で味わいたい、最近までそう思っていた。でもある時に誰かと一緒だったらもっと楽しいんだろうなと考える瞬間があった。自分だけじゃなくて、彼彼女の楽しみを共有してみたいと思うようになって。喜んでいる貴方が見たいだけなのかも。

山間の小さなカフェ。都会の喧騒から離れ、人も少なくなった土地で古本も扱う。始まって数ヶ月だがコロナ禍の中でも知る人は足を運び、ひと時の癒しを手にできる。地元食材を使ったランチは人気、その他ドリンクメニューも種類が豊富。クラシックの音色も添えて、小豆書房。

普段なら秋の装いへと意識が変わりつつあるこの時期。あれ?夏真っ盛りなんだが。吹く風は肌を刺し、照る日は体力をも奪っていく。セミの声も聴こえず、天敵の蚊も姿を現さず。ここは日本ではなかったのか、気象に関する懸念が広がるばかり。自然には勝てないとはこの事を言うのだろう。

自分の人生は最終的には自分で決めていくものだけれど、その背景には常に誰かが居てその誰かによって創られている部分もあるんだと思う。例えば「運命の出会い」がそう。ふとした時に訪れる偶然の機会はターニングポイントになることが多い。そこからもそれまでも自分づくりがどこまでできるか。

本筋はすぐ目の前にあるのに、何かと理由をつけて寄り道をしてしまうのが人間の悪い癖。環境が変わることに対する不安や焦りがあるのは分かりきってるけど、何もしなければ動きも無いわけで。いっそのこと寄り道ができないように、少しずつ自分を律していくとランウェイのようにまっすぐ歩けるのかな。

外に出るだけで、ただ立っているだけで暑い。いくらヘアスタイルをいじったところで汗で崩れてしまう始末。男でも日傘が必要なんじゃないかと考えてしまうくらい。実際穴場の観光地に行ったらまあまあな人が傘をさしていると。帽子が極端に似合わない自分にとっては有難いアイテムかもしれない。