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己の犠牲を払う必要性。62

成果は自分の身体を張って導き出す。

この考えは減ってきたにせよまだ根強いと感じる。

よく考えてみる

もちろん一人前になるためにはそうした“影の努力”が必要なのかもしれない。が、そこまでして自分を追い込むことで結果以外に得られるものは果たしてあるのだろうか。

わかりやすい例かはさておいて

受験勉強がいい例かも。

朝型、夜型(徹夜)、日中のみ勉強するなど様々なスタイルがある。

一番いいのは自分の身体にあったスタイルを見つけること。インプットもアウトプットも基本的に自分が資本であるから、その点を早く見つけるに越したことはない。

あとは勉強の質。書くほうがいいのか、声に出して読むほうがいいのか、集中して文字を見て覚えるほうがいいのか。これも人によるけれども。

勉強する楽しさと“受験のための勉強”

高校っていうのは基本的に大学に行くための準備期間の養成所みたいなものでしかないから、その期間をいかに自分に時間にしてしまえるかがカギなんじゃないかと思う(過ごした身からすると)。

例えば予習。中学校の時と違って授業スピードはまあまあ早くなる。発展した問題を解けるようになりたいと思えば、先に基礎を抑えておくのは大事なことで、テストなんかはその確認みたいなものであるから、特に面白みのない先生の授業なら、自分でさっさとできるところまで
やってしまってぱっぱと課題をこなし、「できてるから文句ないっしょ」レベルまでいけたらゲーム感覚みたいで面白いかも。

もちろん、わからないことは「わからないです」って素直に聞けばいいし(社会人になってから結構大事)。

受け身と流しになるのが一番ダメかもしれない。“勉強できない、わからない、面白くない”の負のサイクルみたいな状態になって、「受験して大学に合格するための勉強」っていう高すぎる壁を超えるための試練みたいに考えてしまう。

受験勉強っていうと大変さやネガティブな面を見る人が多いけれども、学んでいく(自分にインプットしていく)っていう楽しさや、知っていることで生活の役に立つ知恵なんかも身につくから、違う視点から見ると面白いものかなと。

面白い話や具体例、体験記を交えた先生の授業だと食いつく人も多いんじゃないかと。

長々書いたので先生に向けても

勉強って「やれよ、できるようになれよ」っていうやらされてる感を持つのではなくて、自分から勉強したくなる、知りたくなる意識を子供達に与えてあげるほうが大切だと思うんですよ、先生たち。

「今日は教科書のここ教えたな。明日はここっと。」みたいなロボットみたいな授業をやるんだったら、ロボットに取って代わってあげたほうが子供達はより食いつくんじゃないでしょうか。

「ノルマ」と「生徒たちの出来」は絶対に比例しないことをこの際ちゃんと理解した上での授業スタイルを身につけるほうがいいのではないでしょうか。

免許を渡す方もそうですが、マニュアル通りにやっているようでは子供達はついてこないでしょうし、当たり前にできること+αのものがないと親から厳しい視線を送られても仕方ないかと。

好かれる先生には理由があるはずです。形だけすかれている先生の方が現代では大多数ですが。

話の論点がずれてきたので

先生は担任だけじゃない。職員室を除覗けばいろんな先生がいる。いろんな考えを知ることは自分の将来の糧になるし、いざという時の助けになってくれるかもしれない。
そういうことに時間を使うことは決して無駄じゃないからやっておいた方がいいと思う。

まとめのような

一人のなるのがいちばんいけない。それこそ時間の犠牲を払っているようなもの。時間は長いように感じてもあっという間に過ぎ去っていく生モノだから、いかに効率よくインプットできるか、それだけ。無理しすぎて体や心を壊すよりはマシ。

人脈は広い方がいい。たくさん人を知って学ぶことも面白いと思えるかもしれない。

頑張ることを否定してるわけじゃない、その方法を自分で見つけていければっていうだけの話。

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