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米国大学進学の決断を振り返る

米国大学へ進学するためにオハイオ州クリーブランドへ旅立ったのが13年前の2005年。ぶっちゃけ行って良かったのか、悪かったのかと問われれば自信を持って行って良かった!と答えます。

この答えが変わることはおそらく一生ないと思います。
中高大一貫のいわゆるエスカレーター式に通っていたため、大学へは入試なしで進学出来る可能性が高かったです。そのため同級生の95%以上はそのまま進学したかと思います。記憶上、米国を選択したのは3人程度だったと思います。

では何故中学、高校と進んだのにエスカレーター式の教育機関の最大の価値をもたらす大学には進学せず米国の大学を選んだのか。

それは未来が想像出来てしまったから。

中学から一緒の仲間だとすでに6年間時を共に過ごしている。それが大学に行って、自ら環境を変える事が出来るかといえばなかなか考えにくい。ましてやキャンパスも中高と同じ最寄り駅。大学生になった先輩達も変わらず高校の練習にやってきたりしてました。

その時、自分もそのまま大学へ進学すれば、同じような感じになるんだろうなと思ってしまいました。

ちょうど学部説明会も始まったこの頃、自分が本当にやりたい事は何かを考える時間が増えました。商学部、経済学部... 一応一般的な学部の説明は一通り聞きに行きましたがしっくりくるのはありませんでした。

そして何で飯を食っていきたいかを考えた時、今までの人生を振り返りました。そして米国、日本でも生活の大部分を占めていたのはスポーツでした

ですが当時はスポーツ健康学部やスポーツマネジメント学科を持つ日本の大学は少なく、選択肢としては東京に行くというのが濃厚。それなら米国に行こうという決断に至りました。もちろん帰国子女で英語に対しての不安がなかったから出来た選択かもしれません。

その決断が順風満帆だったわけではありません。成績優秀だったわけでもなかったのでいきなり米国の大学って・・・どの口が言うとんねんと言わんばかりに呆れた先生もいました。そして大学に進学してから姉妹校へ留学する事を進める人もいました。そして友人の親もなんでそんな選択をするのかと疑問を母に言う人も。今思えば、余計な御世話ですね。笑

様々な外的要因に悩んだ時期はありましたが、自分の気持ちを固めたのは自らを追い込むという事でした。英語のクラスの一環として、全校生徒の前でスピーチをするという課題があり、そこで私は米国の大学へ行く宣言をしました。そこで逃げれない状況を作って、悩んでしまっていた自分のマインドを断ち切りました。あそこでそのまま日本の大学に進学していたら腐っていただろうな... 

こんな風に少し記憶を辿りながら米国大学進学への道、そこからスポーツの世界に至るまで記録としても残していきたいと思います。

今更ではありますが年末に読んだ一冊に触発され、少しでも外へ出る良さなどを自らの経験からも伝えていけたらと。


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