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「フリーランスは働き方ではなく手段」

スポーツ業界ではフリーランスとして食っていけるのか?そもそもフリーランスの実態って何なのかそんな疑問を持たれる事が多い気がします。だけどこのフリーランスというのは私にとって働き方というよりかは「手段」として捉えています。

「英語×スポーツで海外との架け橋に」

非常にアバウトな目標ではありますが、自分のやりたいと思っている事です。再び海外にチャレンジすることを目標に置き、達成するためにどうするべきかと考えた結果それがフリーランスという道に自分を導くことになりした。

スポーツ通訳も一種のフリーランスだった

スポーツ業界を目指した10年ほど前に比べると様々な働き口が増えましたが、それでもなぜフリーランスとしての道を選んだのか。

私は幸運にも米国の大学在学中からメジャーリーグ球団でのインターンシップを獲得する事となり、その後はウィンターミーティングに足を運んで就職活動を行い日本人選手の通訳という仕事に就く事となりました。

インターンを2年、そして日本人メジャーリーガーの通訳を5年現場で経験する事となります。ですが実はこの期間も私の働き方としては一定期間の契約はあるものの、「フリーランス」の部類に入る時期もありました。野球のシーズンはキャンプが開始する2月からレギュラーシーズンは9月末まで。チームが勝ち上がらなければ10月から2月までの期間は仕事のない”無職の身”となります。

帰国して長いシーズンの疲れを取ると言っても数日間休めば十分です。すでに社会人としてバリバリ働いている友人たちも日中相手してくれる訳もなく、いきなり暇な日々が始まるのです。米国での通訳などの裏方は球団にも寄りますが、基本的には1年契約。ましてやメジャーリーグの場合は大抵1人の選手に左右される通訳はそのプレーヤーが何らかの理由でチームを離れる事になれば、真の無職となります。私はこの無職となる経験をすでに3度(帰国する時も含めると4度)経験しています。日本的な履歴書としては最悪ですよね。

辿り着いたフリーランスとしての働き方

何度も仕事を失い、次について考える免疫が出来た事で帰国した2015年の春にはフリーランスとして働いていくという決心に至るまではそう不安はありませんでした。

その理由としては、私は日本のスポーツ業界を本当の意味で知らないというのが大きかったと思います。2011年、2012年北海道日本ハムファイターズのご厚意により名護で開催されたキャンプには短期間通訳としてチームに帯同させて頂きましたが、業界全体を国内から見るという経験はありませんでした。

再び海外へ挑戦するという目標もあり、そのためには違う”何か”を自分で作り上げる必要がありました。これまでの現場での経験と掛け合わせる新たな武器が必須でした。そこで辿り着いたのがメディアの世界でした。海外スポーツ中継の制作に関わる日々からライターとしての仕事、雑誌・テレビ・イベントごとのコーディネーターや通訳を頼まれる機会も増えました。今は有難い事に企業との業務委託を2つ、MLB球団のコンサルタント、そして引き続き放送局での通訳という形で働いています(またそれぞれの詳細については今後ご紹介出来れば...)。

手段に正解なんてない

フリーランスを働き方と捉えると周囲と比較してしまい不安に思ってしまうかもしれません。ですが自分が成し遂げたい目標を達成するための1つの手段と考えれば、正解がなく気持ちも楽になります。

フリーランスはどの業界でも最初は前職の恩恵を受けるなどして仕事は困らないけど、いずれ年齢を重ねた時やその恩恵がなくなった時に本当の戦いが始まると良く書籍などにも綴られています。私も2019年3月となれば、日本でのフリーランス歴は4年目を迎える事となります。

本音を言えば、一生これで食っていくのかといえばそこまで確固たる決意はないです。だって、手段の一つですから。自分が辿り着きたい目的地に到達するために別の手段が見つかればホイホイとそっちを選んでしまうかもしれません。

ただ縁あってこういう働き方をしてきた以上はフリーランスとしてでもスポーツ業界に関わっていくことは出来る事という事を形にしていかなくてはいけないと思います。特にこれからスポーツ通訳を目指す人達にとっては、そのキャリアを終えた後にも色んな手段が残っているというのを数々の先輩方と共に伝えるそんなチャレンジをしていこうと思います。


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